戦後日本が失ったもの:新しいアイデンティティを求めて第四回:建物の外観は公共財

▼バックナンバー 一覧 2009 年 7 月 8 日 東郷 和彦

 外務省で行う仕事は、東京の外務本省と在外公館とでは、同じ国益増進を目的としながらも、質的に違ったものがある。
 東京では、政策の立案、そのための国内上の協議、そして重要案件についての交渉の実施が中心となる。
 在外公館、特に、大使の使命は、在外において日本を代表して行動することにある。別の言葉で言えば、在外において日本という国の有り様を、大使館、乃至は大使の行動によって示すことである。
 相手国の指導層、そして国民が日本について考える時に、少なくとも日本大使あるいは日本大使館のことが頭に浮かぶというような状況をいかにして創り出すか、そしてそういう大使あるいは大使館の活動を通じて、「日本は良い国だ、日本は尊敬すべき信頼するに値する国だ」という理解をいかに深めてもらうか、大使館の活動の要諦はこの一点につきる。
 交渉も、情報収拾も、本省への報告電報も、在留邦人の援助・保護も、総てそういう「プレゼンス拡大」努力の自然な結果であるはずである。
 もちろん、何をどう動かすかについては、これまでの日蘭関係、日欧関係の中から慎重に選ばなくてはいけない側面もあった。
 オランダの場合には、第二次世界大戦中インドネシアで起きた日本軍によるオランダ居留民の拘留とオランダ女性の慰安婦問題という非常に難しい問題があった。二〇〇〇年の天皇・皇后両陛下の御訪問によって両国間の歴史に新しいページがめくられていたが、私は、心の傷が癒えていない人達に対して、国を代表して、「あなた方に対して大使館の扉は開いている」ということを心から伝えるための、懇談を開始した。
 オランダ政府の閣僚、日本と関係の深い高官との対話は不可欠であった。小泉内閣が2001年9月11日のテロ事件のあとに決断した対応策の要点を、大使館の責任で一枚紙にまとめ、着任挨拶では、名刺代わりに説明して歩いた。11月、オランダ政府が対テロ活動抑止への参加を決めた時には、記者会見で、首相も国防大臣も、特に日本の貢献について言及してくれた。
 大使館へは月に数回、大使に対する英語でのスピーチ要請が来ていた。スピーチこそは、一期一会であった。そこに集まった何十人か、何百人の人達に、スピーチが終わった後に、「日本」についてのより深い、より好ましい印象をいかにして残せるか。その最も重要な要件は、原稿を読まずに、聴衆の目をみて語りかけることであった。
 先輩の人達の多くの努力の結果、オランダには素晴らしい大使公邸があった。先ずは、オランダ指導層の各分野から人を集めて行う晩餐会を考えた。そこで欠かせなかったのは、日本料理であった。東京から一緒に赴任した高崎智浩コックは、晩餐会成功のための必至のパートナーであった。積年大使館の知恵袋となっていたロスト・オネス総領事のアドバイスを得ながら、漸く、オランダ王室ゆかりの主賓をたて、議員、閣僚、地方知事、文化人などを集めた晩餐会が軌道に載り始めた。

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