戦後日本が失ったもの:新しいアイデンティティを求めて第四回:建物の外観は公共財

▼バックナンバー 一覧 2009 年 7 月 8 日 東郷 和彦

 在オランダ六〇〇〇人の日本人社会との接触も大切であった。オランダは日本の在外投資の中でも世界三位をしめ、オランダ在住の日本企業は極めて活気のある商工会議所をつくっていた。またオランダには在住何十年になる興味深い日本人文化コミュニティーができていた。そのメンバーを公邸に招いて懇談し、オランダの建築や音楽について全く新しい話を聞くのは、貴重な体験であった。
 2001年の秋、そういう在オランダ日本社会のリーダーたちを招いての、夕食会のひと時だった。
 この晩は、大食堂に8人ほどの丸テーブルを四つ配置し、大使館側で一人づつ各テーブルでの主人役を決めておき、料理の進行に合わせて、私が、その主人役の場所をスイッチして、集まった人たちとの交流を図るというスタイルをとっていた。
 高崎コックが腕を凝らした日本食のコースだった。海沿いのスヘーヴェニンゲンの朝のマーケットで買ってきたばかりの旬魚の焼き物がでたあとだったと思う。三番目のテーブルに移った時に、左側の席に座っていたのが、吉良森子さんだった。事前に大使館の文化広報班からうけたブリーフでは、まだ若い日本女性ながら、大変才能のある建築家で、ヨーロッパ建築界に名を知られ、最近オランダ首相官邸の改築工事のプロジェクトに応募し、見事、そのプロジェクトを射止めたということだった。
 何から話しを始めたか、はっきり覚えていない。
「首相官邸のプロジェクトをしとめるなんて、本当にすごいですねえ」といった話から、会話が弾んでいったのではないかと思う。
 しかし、この才能溢れ強烈なエネルギーを感じさせる女性と話をしていて、私は、いつのまにか、私の中に蓄積されてきた荒涼たる現代日本の風景への疑問と、心の中に生き続けてきた「原風景」への憧れについて、話を始めていた。
 特に、オランダを中心として。
 オランダの風景の中に、なにか、限りなく安らかなものがあること。
 オランダの中を旅していると、水と木立と野原と空があり、その中に、建築が調和してあること。
 水と木立と野原と空が、人間の生活の中に、こんなに間近くあることが、時として、どんなに、心をなごませるかということ。
 そして、吉良さんの専門である建築が、国中を旅していて、どこにいっても、周囲の風景と調和し、こちらの神経をかき乱すようなものがないこと。
 それに較べて、日本の風景に、余りにも落差があること。
「オランダにある、自然と人間の生活の調和って、どこから生まれてくるのでしょう?」
「それはそうですよ」
 若くて活気に溢れる建築家は、にこっと笑って答えた。
「オランダでは、建物の外観は公共財ですから」
 一瞬、ピンと来なかった。自分の原風景という、私にとっては、本質的に詩的な話題の中に、似つかわしくない言語がならんでいるように思えたのである。ちょっと戸惑っている私に、吉良さんは語ってくれた。
「オランダ人は、自分の家を建てるときは、家の中をどうするかは、自分の自由で決められると思っています。でも、建物の外観は、自分のものではないんです。つまり、公共財」
「建物の外観が、公共財?」
「はい。そうです。自分のものではないんです。公のもの、つまり、みんなのものなんです。だから、高さや形はもちろん、屋根の色も、まどの形も、壁の材質も、外側から見えるものは、自分の趣味で決められるものは、一つもありません」
「一つも自分で決められない?誰が決めるんですか?」
「もちろん家の所有者が、自分の趣味にあった希望をまず考えるんです。でも、実際その通りになるかは、その地域の住民を代表する委員会が厳しく審査して決めるんです。そこで決められた決定は、みんが尊重しますから、そのとおりになります」
「だから、何処に行っても、神経に障るような突出した建築が無いんですね」
「はい。ですから、建築家の方でも、最初のデザインを考える時から、周囲の建物、そこで使われている色や形、緑の量と配置、そういうものを先ず検討し、それと調和した設計案をつくります。委員会の審査は、そういう設計案について、更に厳しい視点で行われるわけですから、全体の風景に、言われたような、調和感覚が生まれるのでしょうね」
 そうか、そういうことだったのか。オランダ人が特別のセンスを持っているわけではないのだ。「見えざる手」が働いて、予定調和を実現しているわけでもなかったのだ。長い間の社会のあり方の中で、みんなに受け入れられるルールができている。
 そのルールが、「建物の外観は公共財」というルールだったのだ。
 それにしても、驚きだった。
オランダは、世界でも、最も開けた、自由な民主主義を謳歌していた。堕胎の自由、職業としての売春の肯定、パートナー婚、同性愛婚をはじめとする男女関係の根本的変革、グレードの低い麻薬の解禁、安楽死選択の自由など、およそ人間の生と死に係わる自由について、オランダほど寛大で、文明社会の先端を切って、個人の自由と権利を社会の規範にすえているところはなかった。
 そのオランダで、「建物の外観は公共財」という点に関しては、徹底して、個人の権利を認めない、厳しい統制の網がかかっていたのである。
そのことを誰も疑わず、批判せず、当然のことと認識していた。
 ひるがえって考えれば、わが日本社会は、人間の生と死についてオランダ人が与えられている権利のほとんどを認めていない、昔からの社会規範をそのまま受け継いでいた。しかし、そういう伝統的な社会規範に基づいた厳しい抑制をかけながらも、こと建築に関すると、高さ規制と日照権という僅かで一面的な制限を別とすれば、ほとんど、無尽蔵な自由と放縦を、国民は享受している。
 ようやく買い求めた土地に自分の家をたてるとき、その形と色彩について、近所の家との調和を考えて設計する建築家も家主も、ほとんどいないにちがいない。

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