戦後日本が失ったもの:新しいアイデンティティを求めて第四回:建物の外観は公共財
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2004年の春だったと思う。
同期で退官の際あらゆる面で世話をしてくれた、鏡武アイルランド大使のところに、春の休暇をとって訪れた。東京から、鏡氏も私も以前から懇意にしていた運輸省の友人T氏が、退官後民間会社の幹部となり、アイルランドを訪れるので、一夕ダブリンで語り合わないかというお誘いを受けたのである。
運輸省は、国土交通省の一部となっているが、旧運輸畑の人達は、昔と同じように日本の運輸行政を司り、世界の中で日本の運輸が勝ち残り、日本の中での運輸行政の権限拡大に努めている。わが友人は、広い視野での国益を考える力をもっていたが、そういう運輸官僚の中の俊秀であることも事実だった。
話は、日本社会の万般に及んだ。
またまた、私は、日本が戦後失ってきた自然と伝統、その再構築を通じて獲得すべき民族の活力、それを経済的に実現する方策が必要なことなどについて話し始めていた。
そういう問題について、旧運輸省の友人と話し合うには、なかなかタイミングのよい夕べだった。
2004年6月に、日本は「景観法」を決定している。景観を重視することは、観光の重視につながり、2006年12月には、観光立国推進基本法が成立、2008年5月、国土交通省設置法の一部改正法の成立によって「観光庁」が成立する。
私たちの懇談は、景観法の成立直前であり、これから、日本で、観光行政が重きをなしていくという前夜だった。国土交通省が、観光行政の中核となることは当時の新聞論調からもはっきりしていたから、わが友人は、心なしか活気づいているようだった。
「でもねえ、Tさん、観光行政について、一つアドバイスがあるんです」
「なんですか」
「観光行政っていうと、普通、どうやって、観光客を誘致するか、そのためのインフラをどうするか、例えば、新幹線をたくさん整備するとか、立派なホテルをたくさん建てるかっていうような内容を思い浮かべるんですけれど」
「そういう面もありますね」
「でも、実は今日本が一番考えなくてはいけないのは、そういうインフラ整備の話ではないと思うんです」
「というと?」
「一番大事なのは、日本に行って観光するに値する場所があるかっていうことだと思うんです」
「でも外国では、日本を見たいという人たち、けっこういるんではないですか」
「はい。今はまだいます。僕が教えているライデン大学でも、時々眼を輝かせてやってくる学生がいるんです。先生、これから日本に行きます。日本ってすばらしく美しい国だって聞いています。でも、そういわれる時、僕は、いつも思うんです。ほんとうに、日本って美しいのかなって」
「やっぱり、美しいではないですか」
「美しいところもあります。でも、ほんとうに外国人が訪れて、その風景の中で時を過ごしてみたい所って、どのくらいあるのでしょうか。もっと大事なことは、日本はそういう国づくりを進めているのでしょうか。むしろ、都市化、開発、日本全国を均一の産業基地にするコンクリート化の波が基本で、人間の生活を本当に豊かにする空間を自分たちの国の中につくる努力を怠ってきたんではないですか。Tさんは、世界を飛び回り、ヨーロッパにも永かったから、そういうギャップを感じません?」
「そうかなあ」
「僕は、これからの日本は、そういう新しい国づくりの方向に行くと思うんですよ。行かせねばならないし。いろいろ曲折はあっても。その時にどこの官庁がそういう問題意識をもってやるかで、これからの、権限関係が大きく変わると思うんです。運輸省、いや、国土交通省が早くからそういう問題意識をもって、インフラ整備の観光開発ではなくて、『訪れるに足る村・街・地域造り』という観光行政をめざせば、これからの、権限争いの中で、すごい優位をしめられると思うんですけど。そうでないと、農水とか経産と文科とか、みんな自分の分野の観光行政を拡大ばかりしていくと思うんです」
「なるほどねえ」
国土交通省の権限拡大にからむこの話を、T氏は、微笑を浮かべながら真剣に聞いている風だった。
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そんな風にして、退官後二年のライデン大学での生活がすぎ、そこから私はプリンストン大学に移り、2006年6月から7月、佐藤優氏の裁判への証人出廷を通じ、日本への本格的な帰郷の可能性が強まってきた。
ちょうど、その時、衝撃的な本に出合ったのである。
(第四回:終了)