わき道をゆく第141回 私の10冊①

▼バックナンバー 一覧 2019 年 3 月 29 日 魚住 昭

 現代社会を描くうえでの必読書を10冊あげろという注文を編集長からいただいた。おやすいご用だと思って引き受けてみたが、いざ書くとなると<これが良い。いや、あれが素晴らしい。いやいや、これも捨てがたい>と思いが千々に乱れて、うまく絞りきれない。

 これではいつまでたっても原稿を書き出せないので、自分の37年余の記者生活のなかで思い出深い本、忘れられない作品を順に挙げていくことにした。

 私は1975年に共同通信に入社した。べつだんこれといった深い理由があったわけではないが、記者をやるなら社会部記者だと最初から勝手に決めていた。なかでも裁判に対する関心が強かったので、将来は司法記者になりたいと思った。

 そのきっかけになったのが広津和 郎著『松川裁判』(中公文庫)である。いまもわが家の本棚にある上・中・下の3冊本をめくってみると、文芸評論家の平野謙が解説を書いている。

 そのなかに「広津和郎の裁判批判の方法は、あたりまえの人間生活の理解を前提として、そこから調書・供述書・録取書などのリアリティの有無を検証し、事実と表現、実体と言葉との相関関係を吟味する方法」だというくだりがあった。

 まさにその通りだ。広津は「あたりまえの人間生活の理解」つまり常識に拠って立って2審判決(死刑4名、無期懲役2名、懲役15年〜3年半11名)を徹底批判し、それに見事に成功している。もしも広津がこの作品を書かなかったら、松川事件の被告たちは逆転無罪を勝ち取ることができただろうか。そう言いた くなるほど、説得力に満ちた歴史的文章だった。

 本当のジャーナリズムとはこれだ。こんな仕事をしてみたい。と思いながら、私は立川支局の記者として東京地裁八王子支部を取材して回ったが、ろくに原稿も書けない新米記者の目の前に、そう都合良く冤罪事件のネタが転がっているはずもなかった。

 2番目の赴任地・岡山でも裁判所を担当したが、ここでもこれといった事件にはぶつからなかった。毎日が平穏無事で退屈だった。いま思えば、わが人生で最も贅沢な時間だったのだが、当時は「こんなことで一人前の記者になれるだろうか」と焦る気持ちが強かった。

 仕方がないから本を読んだ。なかでも強く印象に残ったのものが3つある。ひとつは大岡昇平の『事件』(新潮社刊)だ。映画に もなったのでご存じの方も多いだろうが、ある田舎町で起きた殺人事件の発生から判決に至るまでの意外な展開を描いた“推理小説”である。

『レイテ戦記』や『野火』を書いた作家の作品だから、良質で面白いのは言うまでもないが、そこには法律書ではわからない刑事手続きの実際がわかりやすく描かれていた。

 たとえば、検事の書く起訴状は現代日本語とはかけ離れた面妖な文体で、たいてい始めから終わりまで切れ目なしの一文だ。なぜか?

「それは末尾に示される犯罪事実が、一連の状況、動機、故意のひとつの結果であることを示すためである。主語があいまいであろうとなかろうと罪となるべき事実がそこに明らかに示されていれば、それでよい」

 と、こんな具合に、ふだんの取材で疑 問に思ってもなかなか訊けない事柄をかみ砕いて説明してくれていた。そのうえ大岡は、裁判とは本来どうあるべきかという基本理念も丁寧にわかりやすく説いていた。その意味でも『事件』は私にとって最良の教科書になった。

 あとの2つは『開高健全ノンフィクション』(全5巻・文藝春秋刊)と、立花隆の『田名角栄研究』(講談社文庫)だ。開高のベトナム戦記や釣魚紀行は、自然であれ、社会であれ、世界は驚きに満ちているのだということを改めて教えてくれた。立花の角栄研究は文章をわかりやすくするには、目の前にいる読者に直接語りかけるように書けばいいのだということを実際に示してくれた。

 その後、私は岡山を離れ、大阪社会部で6年勤務した後、東京本社に戻り、しばらくし て検察担当を仰せつかった。今はどうだか知らないが、当時の検察担当は社会部記者にとっての正念場だった。

(編集者注・これは朝日新聞社ジャーナリスト学校の雑誌『Journalism』にかつて寄稿した原稿の再録です)