わき道をゆく第143回 私の10冊③
私事で恐縮だが、私自身が取材の醍醐味を感じるのも そういう事態に出くわしたときだ。テーマが何であれ、取材をはじめる前には自分のなかに固定されたイメージ、つまり先入観念が存在する。ところが丹念に取材していくと、必ずと言っていいほど「へっ?」と思わず言いたくなる事態に出くわす。たいていは取材相手のふとした一言からである。
間違えないでほしいが、「ええっ!」という驚きの感嘆詞と「へっ?」とは質的にちがう。突然、それまでの先入観念や、常識的な価値観が通用しなくなり、新たに出現した事態をどう解釈したらいいのかわからない戸惑いを感じたとき「へっ?」と思うのである。
これだけではなかなかわかってもらえないだろうから、もっと具体的に説明しよう。私はかつて4年がかりで自民党の野中広務元幹事長の評伝 取材をした。取材をはじめる前に私がかれについて抱いていたイメージは、ダーティで恐ろしげな政治家だった。
彼の生い立ちから町長、県会議員を経て京都府の副知事に就任するまでの経緯を調べるために、私は地元の旅館に1ヵ月近く泊まり込んで周辺取材を進めた。彼の政敵や反対党派はもちろん、彼の幼なじみや中学の同級生、支持者らに片っ端から話を聞いて回った。
すると、彼の強面のイメージとは正反対のエピソードを語る人びとにしばしば出くわした。弱い者、虐げられた者、差別された人たちの痛みを理解する優しさという、思いもしなかった側面を知らされた。私はそのたびに「へっ?」とつぶやいた。
その後も私は「へっ?」という場面に何度も出くわした。そうして私は野中 像を何度も何度も修正しながら『野中広務 差別と権力』(講談社文庫)を書いた。もし、ホンの少しでもこの本に読むべきところがあるとするなら、それは「へっ?」という価値観の修正の連続があったからだろう。
さて私は本田作品に傾倒するあまり、他の作者の著作を紹介することを怠ってしまったようだ。たとえば竹中労の『鞍馬天狗のおじさんは』(「ちくま文庫)という作品は、嵐寛寿郎という俳優の破天荒な人生を描いた名作としてここにあげておかねばなるまい。
私はこれを読みながら、久しぶりに腹の底からげらげらと笑った。それも竹中が嵐寛寿郎の軌跡を徹底的に調べ上げ、嵐の本音と芸能界の摩訶不思議さを彼から引き出しているからだ。戦後ノンフィクションの歴史に残る人物 評伝の傑作だから、まだお読みでない方には是非お薦めしたい。竹中労はまごうかたなきノンフィクションの名手である。
他にも挙げたい本はいろいろあるのだが、いちおう10冊のノルマを果たしのだからこの辺で打ち止めにしたい。私の独断と偏見に満ちたセレクションのうち1冊でも読者の参考になる作品があったら望外のしあわせである。(了)