わき道をゆく第162回 政治と検察(その12) 

▼バックナンバー 一覧 2021 年 6 月 7 日 魚住 昭

 前回は元特捜検事で「闇の世界の弁護人」に転身した田中森一のことを取りあげました。
彼は「じゃあ、正義って何なんだ。やっつけることが正義か。検察だけが正義で、あとは悪だというような、そんな理屈があるんか!」と、私に問いかけました。
 今にして思えば田中の言葉はある種の予兆のようなものだったのかもしれません。
 それから一年後の1998年末、弁護士の安田好弘が、顧問先の不動産会社に「資産隠し」を指示したとして強制執行妨害容疑で警視庁捜査二課に逮捕されました。安田は当時、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の主任弁護人であり、日本の死刑廃止運動のリーダーでもありました。
 彼の逮捕をテレビのニュースで知って、私は動転しました。安田は、かつて私が在籍した大学の全共闘運動のヒーローだった男です。山登りで培った強靭な体力と、冷静に敵味方の状況を分析する頭脳、そして身を挺して仲間を守ろうとする侠気。あらゆる意味で安田は飛びぬけた存在でした。
 安田は大学時代、「山こじき」という登山愛好会をつくっていました。「山こじき」は会則や序列のない自由な集団で、気の向いたとき、好きな山に、できるだけ低予算で登るのをモットーにしていました。私もそこに入れてもらい、日本アルプスに登りました。
 安田は心身ともにスケールが大きく、情深い人でした。仲間が山でへばったり、熱を出したりすると、彼がおぶって何時間も歩きました。並の人間にはできないことです。
 大学を出た後、彼は法律という武器を使って弱い者、虐げられた者たちを守ろうとしました。山谷の労働者やアイヌ民族の権利を擁護し、誰もが嫌がる死刑事件の弁護を引き受けました。私を含め、多くの仲間がかつての志を忘れても、彼はその姿勢を変えませんでした。もし全共闘運動が何らかの理念を持っていたとするなら、彼はその最も良質な部分を代表する男と言っていいでしょう。
 安田が逮捕された翌日から新聞や週刊誌は、彼が「人権派」の仮面をかぶった悪徳弁護士であるかのように書きたてました。安田は容疑否認のまま起訴され、初公判が終わっても保釈されませんでした。8回に及ぶ保釈請求はすべて退けられ、1999年秋まで身柄を拘束されました。最高刑が懲役2年の罪で10カ月の身柄拘束です。その異常な長さは、何としても安田を葬り去ろうとする検察の執念を感じさせました。
 少し時間を戻しますが、安田の初公判は1999年3月、東京地裁で開かれました。罪状認否のため証言台に立った安田はこう述べました。あらかじめお断りしておくと、スンーズ社というのは、彼が法律顧問として事業再建の相談に乗っていた不動産会社です。
「私は無実です。起訴状に書かれている行為をしたことはありません。ここでどうしても言わなければならないことがあります。それは私が無実であるばかりでなく、共犯とされている孫社長らスンーズ社のすべての皆さんが無実であるということです。そしてまた、この事件が住管(住専債権回収のため作られた国策会社・住宅金融債権管理機構。整理回収機構の前身)、警察、検察によって作られた事件であるということです」
 正直に言うと、私はこのとき安田と検察のどちらの言い分が正しいのか判断しかねていました。学生時代からの友人である安田の人間性への信頼は揺らぎませんでした。しかし、カネ絡みの紛争に弁護士が巻き込まれ、魔がさしたように法の枠を踏み外すのはよくあることです。東京地検が起訴した以上、証拠はそれなりにあるはずだから、無罪を勝ち取るのは難しいのではないか。漠然とそんなふうに考えていました。
 安田の罪状認否の後、検察の冒頭陳述がはじまりました。安田の罪状は、債権者による差し押さえを免れるためにスンーズ社の資産を隠したという強制執行妨害でした。もう少し詳しく言うと、スンーズ社が所有する賃貸ビルのテナント料が差し押さえられるのを防ぐために、スンーズ社にダミー会社を使った「賃料隠し」(総額2億円余り)を指示したということでした。
 私は起訴事実の詳細を知って驚きました。それまでの報道では安田は中坊公平弁護士が率いる住管の債権回収を妨害した「悪徳弁護士」のはずでした。住管の告発で警視庁が摘発した事件だから、住管の債権回収を妨害したと誰もが思いこんでいたのでした。
ところが検察の言う「賃料隠し」があったのは1993年から1996年9月までで、住管が住専債権の回収をはじめる1996年10月以前のことでした。つまり住管は何の被害も受けていません。なのになぜ住管は安田を告発しなければならなかったのでしょうか。
 実は後で法廷で明らかになるのですが、住管が債権回収をはじめて3カ月後にスンーズ社の関連口座から「賃料隠し」と同額の2億円余りの現金が引き出され、行方がわからなくなっていました。住管は回収作業の調査の過程でそれを知ったからこそ告発し、警視庁も強制捜査に乗り出したのです。この消えた二億円余りの現金は、事件の真相を解明する最大のカギになるのですが、それは後で詳しくふれるつもりです。
 検察側の冒頭陳述では、もう一つ腑に落ちないことがありました。検察側が「賃料隠し」と断定したのは、スンーズ社がテナントからもらう賃料の受け入れ先を、スンーズ名義の口座から別会社名義の口座に変えたからです。では、口座が変わったためにスンーズの債権者が賃料を差し押さえることができなくなるかというと決してそうではありません。新たな会社を特定して、裁判所に申し立てれば、差し押さえをやり直すことができます。
 つまりこの「賃料隠し」の手法は一回目の差し押さえを免れることはできるが、二度目の差し押さえは逃れられない。せいぜい差し押さえをやり直すのにかかる一カ月程度の時間を稼ぐだけです。安田が仮に「賃料隠し」を目論んだとしても、そんな実効性のない方法をとるでしょうか……。
 この事件には妙な不自然さがつきまとっている。私は真相を探ってみようと思いました。結論を先に言ってしまえば、真相解明のための取材を進めた結果、私の検察観が大きく転回することになるのです。(続く)