わき道をゆく第163回 政治と検察(その13)
事件の舞台となったスンーズは、在日華僑の孫忠利が経営する従業員十人程度の有限会社でした。一時は都心や、シンガポール、香港などに数十のビルやホテルを持っていましたが、バブル崩壊で経営が事実上破綻し、八百億円余りの負債を抱え込みました。
弁護士・安田好弘がスンーズの孫忠利と知り合ったのは、バブルが弾けてまもない1991年末。スンーズが上海に建築していた高層ビルの資金をめぐってメインバンクの三井信託銀行とトラブルが起き、知人の紹介でその解決を依頼されたのがきっかけでした。
1998年10月5日、赤坂にある安田の事務所に孫が青い顔をして駆け込んできました。スンーズ社が警察に摘発されるという噂を聞いたというのです。
孫の相談を受けて3日後、安田は中野にある住管(住宅金融債権管理機構。のちの整理回収機構)本社を訪ねました。住管はスンーズの大口債権者でした。もし警察が摘発に乗り出すとしたら、住管の告発を受けて動くはずだと安田は考えたのです。
しかし、住管側は「告発の動きは一切ない。警察が動くという噂は質の悪いデマではないか」と言い、摘発の噂を全面否定しました。
将来の告発を回避するためにも住管への債務返済を急いだ方がいい。そう思った安田はスンーズの国内外資産を売却し、二カ月以内に60億円程度を返済すると約束しました。
ところが10月16日、住管はいきなりスンーズとの交渉打ち切りを宣言、孫らを警視庁に告発しました。安田は「話が違うじゃないか!」と、住管常務の黒田純吉(弁護士)に猛然と抗議しました。
黒田は「民事(住管への債務返済)は罪を償った後、解決すべき問題だ。ここまできた以上、(警察の動きを)止められない」と、安田の抗議を突っぱねました。
10月19日、孫らスンーズ幹部4人が強制執行妨害容疑で警視庁捜査二課に逮捕されました。安田が捜査二課に呼び出されたのはそれから6日後です。警視庁3階にある鉄扉のついた三畳足らずの取調室で担当警部のNがこう切り出しました。
「スンーズの賃料隠しについて事情を聴きたい。あなたは被疑者である。だから黙秘権も行使できる」
突然の通告に安田は開き直りました。
「今日は逮捕するつもりなのか。逮捕するなら早くしろ」
「いや、それは聞いてからでないとわからない。どうするかは今のところ白紙だ。検事も今のところ白紙だ。それしか言えない」
結局、この日、安田は逮捕されませんでした。
翌月の11月28日、安田は東京地検刑事部に呼び出されました。担当検事は任官10年目のUでした。国際連合ウィーン事務局や通産省に出向し、法務省刑事局にも在籍したエリート検事です。
「あなたは被疑者です。被疑事実は平成5年(1993年)のスンーズ社による強制執行妨害を指示したということです」
Uの調べに安田はこう答えました。
「被疑事実は十分承知している。この二日間、どんな態度をとればよいか考えた。その結論は現段階では何も弁明しないということだ。これは被疑者として、スンーズの顧問弁護士として最良の選択だと思っている」
安田にはこのとき「すべては自分の与り知らないことだ」と釈明する道もありました。しかし、それでは自分が助かるために孫らを突き放すことになります。孫らの主張を確認するまでは、逮捕されても自分勝手な弁明はできませんでした。Uは安田の真意を理解したようでした。
「人間としてその選択は尊敬に値すると思います。だからこれ以上は聞きません。だが人間的評価と検事としての法的評価は違う。それなりの法的責任をとってもらわなければならない。その覚悟はできていますか」
「それも考えたうえでのっことだ」
「今日の結果はあなたに大変不利になる。しかしこれが本来の弁護士の姿だと思います。あなたはスンーズのため驚くほど綿密な仕事をしているが、どうしてこんな報酬でやるんですか。普通ならあなたが受け取った報酬に○が一つか二つついて当然だと思うが」
「特別な理由はない」
Uは終始丁寧な態度を崩さず、意味深な言葉で調べを終えた。
「今日はお会いできてうれしく思っています。またお会いするかもしれないし、もうお会いしないかもしれない。とにかく体に気をつけて下さい」
安田が逮捕されたのはそれから8日後のことでした。12月6日午後、オウム真理教の麻原彰晃弁護団(安田は麻原の主任弁護人だった)の打ち合わせ会議を終えた直後、捜査員に任意同行を求められ、午後4時半、警視庁で令状を執行されました。
その瞬間、安田は「ああ、これで弁護士をやめられる」と思ったそうです。
それまでの安田の毎日は殺人的なスケジュールで埋まっていました。とくに3年前、麻原の弁護を引き受けてからは連日事務所に泊まり込み、簡易ベッドと寝袋で短い睡眠をとっていました。鎌倉の借家に住む妻や娘二人と会えるのは週に一度きり。それでも彼を頼ってくる人たちのことをことを考えれば手抜きはできません。
皮肉にも逮捕は彼をそうした仕事の重圧から解放してくれるかもしれませんでした。「別に悪徳弁護士と言われながら、やめてもかまわないじゃないか」と思ったそうです。
安田はこれまで多くの冤罪事件の弁護を手がけてきました。必死に努力してもなかなか冤罪を晴らせませんでした。一度着せられた濡れ衣を晴らすのがどれほど難しいかは身にしみてわかっていました。
しかし、しばらくして、かつないほどすさまじい怒りが湧いてきて「やつらは明らかにオレをねらい撃ちしてきた。でっち上げに負けてたまるか!」と思ったそうです。
翌日の朝刊各紙は安田の逮捕を大見出しで伝えました。
「オウム・松本智津夫被告の主任弁護人を逮捕 『ス社』強制執行妨害事件」
とくに朝日新聞は「オウム弁護団 切り札失速」の見出しで社会面を大きく割き、オウム弁護団や警視庁、住管など関係者の反応を詳しく伝えました。それによると警視庁の捜査幹部は、「法と正義を守る弁護士として、決して超えてはならない一線を越えてしまった」と語ったそうです。
住管社長の中坊公平(弁護士)は「容疑が事実であれば、同じ弁護士として頭が痛い。厳正な処分を望む」。「(依頼人から、対応によっては自身も犯罪にかかわるような難しい相談が持ち込まれたとき)欲に駆られて法の一線を越えないよう、自他を律することが何より大事だ。弁護士は、正しい法の運用を教え、人を正しく導くのは当たり前のこと」と、法を守るべき弁護士の基本姿勢を説きました。
しかし、スンーズの強制執行妨害事件はこのあと予想外の展開を見せます。詳しいことは次回にお話ししたいと思います。(続)