わき道をゆく第168回 政治と検察(その18)

▼バックナンバー 一覧 2021 年 9 月 2 日 魚住 昭

 1999年8月26日、安田好弘弁護士の第13回公判が開かれ、検察側証人であるスンーズ社常務のIの尋問が始まりました。Iは、劣勢を強いられてきた検察側にとっての最後の切り札でしたが、尋問が始まってから約1カ月後、検察の杜撰な捜査の極め付けともいうべき事実が弁護団の手で暴露されました。
 ことの起こりは、安田弁護団の込山和人弁護士が東京地検から、Iが使っていたフロッピーの証拠開示を受けたことでした。このフロッピーは安田弁護士による証拠隠滅の動かぬ証拠とされ、安田弁護士の保釈を阻む最大要因ともなっていました。
 なぜ「証拠隠滅の動かぬ証拠」とされたか、その理由を説明しましょう。Iは1997年から翌年1月にかけての安田事務所での打ち合わせ記録をパソコンに打ち込んでフロッピーに保管していましたが、警視庁に逮捕される直前、このフロッピーを他の書類と一緒に安田弁護士が紹介したK弁護士とH弁護士に預けました。逮捕後、IはK弁護士とH弁護士を解任。別の弁護士を選任して、そのフロッピーや書類を取り返しました。
 警視庁がフロッピーの内容を確認したところ、安田弁護士との打ち合わせを記録した文書の内容が表題だけを残して削除されていました。削除の日時は1998年10月5日、Iが逮捕される2週間前でした。
 主任検事のUが作成したIの調書にはこう書かれていました。
「文書の内容を削除したのは私ではないと断言できる。一体だれが削除したか。考えられるのは、私が(H弁護士らに)預けている間に何者かが何らかの目的で削除し、証拠を残さないために削除の日時を十月五日になるように操作したのではないか。何らかの形で被告(安田弁護士)が関与していると想像している」
 安田弁護団の込山弁護士は地検から入手したフロッピーを自分のパソコンに入れました。拘置所の安田弁護士がそんな事実はないと断言したため、どちらの言い分が正しいか検証するためです。
 画面を見ると、たしかに11回にわたる「安田先生打ち合わせ」が削除されていました。では、削除したのはだれか。実は個々の文書の更新に使われたパソコンの登録ユーザー名はフロッピーに記録される仕組みになっています。込山弁護士がそれを調べてみたら「FMV(富士通デスクパワー)ユーザー」でした。Iが使っているパソコンです。
 込山弁護士はフロッピー内の他の文書も調べてみました。弁護士のHがアクセスした形跡が1か所だけありました。日時は「十月二十四日」更新内容は「印刷」でした。つまりH弁護士は「安田先生打ち合わせ」とは無関係の文書を開き、印刷してみただけだったのです。
 となると結論は一つしかありません。問題の文書を削除したのはI本人です。

 検察側は込山弁護士がフロッピーの秘密を解き明かしたことを知りません。Iの尋問でこのフロッピー問題に触れ、安田弁護士の証拠隠滅行為を裁判官たちに印象付けようとしました。

 検事「フロッピーの更新日時を見てください。『安田先生打ち合わせ』というファイルはすべて98年10月5日の10時7分から10時16分くらいの時刻に更新されている状況になっています」
 I「はい」
 検事「あなたの逮捕の2週間くらい前ということになるんですが、この時期にこれらのファイルを一括して何か処理したという記憶がありますか」
 I「ハードコピーつまり紙になってるものを捨てたときに、一緒にこれを消したことがあったのかなとも思いますけど、あまり消したという記憶はないんですね」
 検事「これは一定の範囲を選択して黒く反転させて消して、更新したように見えるんですが、そのような作業を一つひとつのファイルについて繰り返した事実はありますか」
 I「私は消すんだったら、そういう消し方はしないと思いますけれど、ちょっと私がやったかどうかは定かではありません。私が消すんだったら違う消し方をすると思います」

 Iの証言は「削除したのは私ではないと断言できる」という検事調書の記載からずいぶん後退していますが、それでも検察側にしてみれば一応目的は達したというところでしょう。
 込山弁護士はすかさず弁護団席から立ちあがり、Iに尋ねました。

 込山「フロッピーの関係でおうかがいしたいんですが、ただいま、あなたの御証言で、消したか消されていたのかということが質問に出ましたよね」
 I「はい」
 込山「その点、もう一度教えてください。フロッピーをあなたが消したんですか、それとも他の人が消したんですか」
 I「私は私自身が消したことはないんじゃないかと思ってます。絶対消してないとは申し上げられません。そういうことです」
 込山「U検事の取り調べにはどういう答えをしたんですか」
 I「同じ答えをしたと思いますけど、私が消した記憶はあまりないと。また、消し方が私のやる消し方でもないと思うと」
 込山「会社のパソコンにはあなたの名前は登録されてないんですね」
 I「私の名前は入ってないと思います」
 込山「フロッピーを削除したりすると、そのパソコンのユーザーの名前が表示されるというのは知ってましたか」
 I「知りません」
 込山「それを警察で調べたかどうか聞いてますか」
 I「聞いてません。だから、もし、そういうことだとすると、ユーザーの名前が残っているとすれば、私が消したのを私が忘れていたということになろうかと思いますね」

 これでフロッピー問題の決着はついたも同然だった。もちろん弁護団はこの後、フロッピーの分析結果を明らかにし、検察側の「証拠隠滅」説のでたらめさを非難した。
 Iの証言から6日後の9月27日、安田の9回目の保釈請求がようやく認められた。Y子の「横領」が法廷で明るみに出た後の5回目の請求から地裁は保釈を認め、検察側の抗告で東京高裁が取り消すという異例の事態が繰り返されてきましたが、さすがの東京高裁もフロッピー問題で捜査の実態が暴かれてしまった以上、検察の言い分を認めるわけにはいかなくなったようです。
 問題は主任検事が込山弁護士がしたようなフロッピーの検証作業をしたかどうかです。していたとしたら、安田弁護士を陥れるためIにウソの供述を強いたことになります。
 検証していなかったとしたら、供述の裏付けという最も基本的な作業を怠り、しかも「私が消した記憶はあまりない」というIの供述を「私が消したのではないと断言できる」と作り替えてしまったことになります。
 どちらにしても検事として許されない行為です。こんないい加減な捜査が日常的に行われているとしたら……私は背筋が寒くなるのを感じました。(続)