わき道をゆく第169回 政治と検察(その19)
検察側が安田好弘弁護士とスンーズ側の「共謀」を立証する材料のほとんどは、I常務の捜査段階での供述とI常務が記録していた打ち合わせメモで占められていました。なかでも重要なのは1993年2月19日、安田事務所で行われた打ち合わせについてのI供述とメモでした。
安田弁護士は顧問弁護士としてスンーズ経営陣に指示したことで社長の孫らとの共謀共同正犯に問われています。ということは仮にスンーズ経営陣による「賃料隠し」が立証されたとしても、安田自身は実行犯ではないから、それを主導的な立場で指示したという共同謀議の証明がされない限り罪には問えません。その最大の根拠を検察側にもたらしたのがI常務でした。
I常務はスンーズのメインバンク三井信託銀行の元行員です。1989年に本店信託部の財務コンサルタントを最後にスンーズに出向、1992年に正式にスンーズに転籍しました。スンーズでは社長に次ぐナンバー2の地位にありました。安田弁護士が逮捕される一カ月半前の1998年10月19日、社長の孫や社員のSらとともに強制執行妨害容疑で逮捕され、その後、起訴猶予処分となりました。
I常務が検察側にとってどれほど重要な証人であるかは次の法廷でのやりとりをご覧になればお分かりになるはずです。
検事「スンーズに振り込んでいたテナントからの賃料をエービーシーやワイドトレジャーの口座に振り込んでもらうようにした、そういうことで今回裁判になっていることはご存じですね」
I「はい、それは知ってます」
検事「このような賃料の受け入れ方を証人はその当時、何と呼んでいましたか」
I「私は賃料振り替えというような言葉でよんでいたと思います。手帳にもそういうふうに書いてあると思います」
検事「賃料振り替え、それを縮めて言うようなこともありましたか」
I「賃振りなんて言ったかもしれませんね」
検事「そのような言葉は誰から出てきた言葉でしょうか」
I「賃振りという言葉はたぶん私の造語だと思います」
検事「何を狙って賃料振り替えをやるのか、証人の認識を教えてください」
I「その当時差し押えを受けそうな話がいくつかの金融機関から出てきました。それでその差し押えを回避する方法として、(テナントとスンーズの)間に一つ会社をかませるということですね」
検事「賃料振り替えという方法を教えてくれたのは誰ですか」
I「安田先生です。ただちょっと一言申し上げますと、この……まあそういうことですね。そういうことです」
検事「何か言いたいことがあれば言っていただいていいですよ」
I「私が自分でこういうことだなというふうに認識した部分も若干あるものですから、だからそのとおりの言葉で先生が話されたかどうかはちょっとわかりません」
Iの証言は少しあやふやな点もあるものの、スンーズによる「賃料隠し」が安田弁護士の指示で行われたことを示しています。検察側はIの証言の裏付けとしてIが安田弁護士との打ち合わせの内容を記録したノートを持ち出しました。そこには「スルー会社」や「中間会社入れる」といった断片的な記述がありました。検察側はその意味をIに説明させることで安田弁護士の犯行を立証しようとしました。
検事「この紙(Iのノート)に(安田弁護士との)打ち合わせの状況が書かれているというのは理解していますね」
I「しています」
検事「このときに賃料差し押えを免れるための賃料振り替えに関する話が出たかどうか、記憶はありますか」
I「その話があったと思います」
検事「確認しますが、被告人から賃料振り替えの指示が何回かにわたって出たということは、ノート云々ということを離れた証人のナマの記憶であるわけですね」
I「ナマの記憶であります」
しかし、せっかくのIの証言もやがて弁護側の反対尋問にあってあっけなく崩されてしまいます。弁護側はまず、Iノートの同じ時期に次のような記載があることを指摘しました。
「又貸会社について、とりあえず準ビ ガーデン(筆者注・麻布の賃貸ビル)/サンハイツ(筆者注・元麻布のビル)ー各10オクで肩代る話。利回りでもってゆく。社長が東南アの金ゆ機関回って、三カ月くれ」
これだけでは何の話かわからなくとも、社長の孫が当時、ビルを東南アジアの金融機関に買い取ってもらおうと奔走していた事実を念頭に置くと理解できるようになります。
孫はビルを「十億円」で売ってくるから「三カ月(待って)くれ」、その間に「又貸(サブリース)会社」を準備しておけと言い残して東南アジアに行ったのです。海外企業に買ってもらうにはサブリース会社が間に入って投資に見合う「利回り」を保証する必要がありました。
弁護側の質問にI常務も社内でそんな話があったことをほぼ認めました。「賃料隠し」のためのダミー会社と、「又貸(サブリース)会社」は両立しません。
Iはさらに問題の1993年2月19日の打ち合わせで「賃料隠しの共同謀議」が成立したという検察側の主張を事実上否定する証言までしました。
弁護人「結局、2月19日の打ち合わせで何が決まったんですか」
I「結論としては何もなかったということでしょうね」
Iの証言がくるくる変わるのは6年も前の出来事で明確な記憶がないためだったようです。「共同謀議」立証の最大の決め手とされたノートにも断片的な記述しかありません。それを検察側が自分に都合のいい解釈をしてIに認めさせていたにすぎなかったのです。
Iの反対尋問が進むにつれ、検察側が描いた「賃料隠し」の構図はガラガラと崩れていきました。弁護側にとって安田弁護士の無罪を立証するうえで最も有力な手掛かりとなったのは、弁護側が証拠として法廷に提出したメモでした。このメモには事件の真相を物語る図が描かれていました。
「再建策としての管理会社構想」と題されたこの図には、S1(スーンズ1.つまりスンーズ本体のこと)と、S2(スンーズ2.つまり新会社のこと)という二つの会社が円で描かれ、S2に入った賃料のうち40パーセントがS2に残り、残りの60パーセントがS1に入る仕組みが説明されていました。
I常務への反対尋問が最終局面に差し掛かったとき、安田弁護団の渡辺脩がI常務に聞きました。
「先ほどのあなたの証言では平成4年(1992年)4月の打ち合わせから少なくとも平成8年(1996年)9月までの社内会議の間、再建策としての管理会社の構想はずっと一貫して続いていたということですが、その最中の平成5年(1993年)2月の段階でいきなり全然別の賃料差し押えの回避の話が出てくるというのはどういうことなのか、そこが疑問なんですよ。そういう全然別の話が出てくるというのはそれなりのいきさつもあるわけだから。いきさつがなければ賃料差し押えを回避するというような計画はほんとうはなかったんだということになるんじゃないですか」
Iがあっさりと答えました。
「なかったのかもしれませんね」
渡辺がさらに踏み込んで聞きました。
「なかったんでしょう?本当は」
「私が一貫して言っているのは、会社の再建についての考え方は安田先生から何回も示されたということです。ところが平成5年の2,3月ごろになぜか知らないが、急に賃料の振り替え、いわゆる架空の会社、S2を使った差し押えの回避の話が浮上してきたように私は理解してしまった。これがどうもわからないと思っていたら、このチャートが法廷に出てきて、私の考え方が間違っていたんだなと(思った)。私が認識を間違えたんだなというふうに今は理解していると。だから架空の振り替えというのは安田先生の口からはなかったということでしょうね」
「それをあなたが間違って理解しちゃったということですか」
「そうですね。そういう意味では大変失礼なことをしたと思っているけれども、なぜそれをもっと早く安田先生が自分で説明されなかったのかということについて私は非常に不満を持っております」
Iの不満は、彼が逮捕された直後、安田が警視庁の取り調べに対して黙秘したことに向けられていました。あの時点で安田が十分に事情を説明していれば、自分たちはすぐにも釈放されたはずだというのです。しかし、それは捜査の実情を知らない者の考え方です。
Iらを逮捕した時点で警視庁や東京地検は安田逮捕に向けて走り始めています。そこで安田がどんな説明をしようとも、途中で捜査方針を変えることはまずありえません。現にIらの逮捕直後に経理係のY子らによる2億1千万円の「横領」がわかっても、彼らはそれを無視しています。(続)