わき道をゆく第171回 政治と検察(その21)

▼バックナンバー 一覧 2021 年 10 月 17 日 魚住 昭

 1998年11月3日付のスンーズ宅建主任Sの検事調書と、初公判前に弁護側に開示された11月22日付のSの検事調書を読み比べてみると、さらにお粗末な捜査の実態が浮かび上がってきます。
 3日付調書と22日付調書は先の引用部分などを除けば、一字一句同じ文章が延々と続いています。つまりU検事はワープロに入力した3日付調書を下敷きにして、22日付調書を作り直したのでしょう。もう少し詳しく両調書を比較してみます。はじめの方は調書作成の日付を除けばまったくといっていいほど同じ文章です。違うのは次の部分です。

 3日付調書。
「I(スンーズ常務)の報告を聞くと、安田先生は『そこんところは、このようにした方が良い』というような感じで適宜アドバイスし、Iはそれを一生懸命メモしておりました」
「安田先生のアドバイスは、Iが各債権者ごとに交渉状況を報告するのに対し、その都度個別にアドバイスするパターンが多かったように記憶しています」

 これが22日付調書では「アドバイス」が「指示」に変わります。安田弁護士が主導した犯罪であることを強調するためです。

「Iの報告を聞くと、安田先生は『そこんところは、このようにしなさい』というような感じで指示し、Iはそれを一生懸命メモしておりました」
「安田先生の指示は、Iが各債権者ごとに交渉状況を報告するのに対し、その都度個別になされるパターンが多かったように記憶しています」

 そして14ページの終わりからの先に引用した部分(安田弁護士の分社化構想について述べた)が22日付調書ではすっぽりと落ち、安田弁護士は「『経営会議』の席上で別会社を作って賃料振込先をその会社に振り替えて債権者からの差押えを免れるようにするという指示を与え(た)」という文章に差し替えられています。つまり22日付調書は3日付調書の不都合な部分をすべて取り除く形で完成されているのです。

 私は過去に何百件かの事件を取材しましたが、これほど検察側立証のお粗末さが暴かれた事件を見たことがありません。
 警視庁と東京地検はなぜこんな無茶な捜査をしてしまったのでしょうか。一言でいえば、これは国策捜査だからです。目的は安田弁護士という「反社会的な存在」を抹殺することです。捜査に多少の欠陥があっても許される。そんな甘えが捜査陣全体にあったと考えざるをえません。
 それに、彼らには中坊公平氏が掲げた「正義」の御旗があります。刃向かう者は「悪」だという危険な思い込みが杜撰極まりない捜査を生んだのではないでしょうか。

 2003年12月、東京地裁は安田弁護士に無罪判決を言い渡しました。川口政明裁判長は判決理由で弁護側の主張をほぼ認め、「検察官の供述調書の作成経緯やその内容からは、捜査官の強引な誘導があったことが強くうかがわれる」と指摘しました。
 さらに、捜査段階で、スンーズ社の元経理係Y子が約2億円を不正に横領した事実が発覚していたのに、検察側が公判の途中まで証拠を出さず、弁護側の尋問で明らかになったことについて「検察官の態度はアンフェアとの評価を免れない」と述べました。安田弁護士側の全面的な勝利でした。
 ただ、これで終わらないところが日本の裁判の摩訶不思議なところです。検察側の控訴を受けた東京高裁は2008年、安田弁護士の行為は強制執行妨害の幇助罪にあたるとして同弁護士に罰金50万円の判決を言い渡し、2011年、最高裁で高裁判決が確定しました。形のうえでは一審の無罪判決が高裁・最高裁で逆転したことになります。
 が、この罰金判決は奇妙なものでした。なぜなら安田弁護士の行為が強制執行妨害の幇助罪にあたるなどということは弁護側も検察側も主張していなかったからです。被告・検察側のどちらも主張していないことを裁判所が認定するのは極めて異例です。なぜ、高裁はこんな奇妙な罰金判決を下したのでしょうか。
 その理由を知る上で大事なことがあります。実は、弁護士法は禁固以上の判決が確定すると、弁護士資格を失うと定めています。禁固より下の罰金刑の場合は弁護士資格を失いません。安田弁護士はこれからも仕事をつづけることができるのです。
 裁判所は罰金判決により検察の面子を保ち、その一方で安田弁護士側に実質的な損害が及ばないように配慮したのではないでしょうか。こういう判決を司法界では「調停判決」といいます。残念な結末ですが、安田弁護士が仕事を続けられることができたのは大きな収穫だったと思います。

 もともとカネ絡みの民事事件は狐と狸の化かし合いのようなものです。関係者の利害は錯綜し、一筋縄ではいかない多様な側面を持っています。その一面だけを取り上げ、他の面を捨ててしまえば刑事事件にすることも難しくありません。安田事件はその典型でした。
 しかし、そうした危険性があるからこそ「民事不介入」の原則ができたのです。この原則は捜査機関が一般市民の私生活領域に入ってくることへの防波堤の役割も果たしてきました。住管機構の社長だった中坊公平氏は市民の自由を守るべき弁護士でありながら、その防波堤を決壊させました。彼の責任は限りなく重いというべきでしょう。
 もう一つ忘れてならないのは、U検事の捜査の欠陥を見抜けなかった東京地検幹部の責任です。安田弁護士はこれまで死刑廃止やオウム教団への破防法適用問題で法務・検察と鋭く対立してきました。麻原公判でも検察側にとって最も手強い相手だったといわれています。
 今ここで詳しく論じる余裕はありませんが、安田弁護士は検察側の「麻原の絶対的な支配権の下、その命令一下、凶悪犯罪が次々と行われた」というオウム事件の基本的構図が事実に反し、実態はかなりばらばらだったことを反対尋問で明らかにしました。そして警察が地下鉄サリン事件の発生を事前に察知していた疑いがあることを指摘し、オウム捜査の裏に隠された秘密を暴こうとしていました。
 その安田弁護士が逮捕され、長期拘留されている間、東京地検幹部の一人は「あいつがいなくなったら麻原公判が順調に進み出した」と喜んでいたといいます。
 一線検事の捜査を厳しくチェックすべき幹部たちがその役割をまったく果たさなかったのは、彼らの心理の奥に安田逮捕を歓迎する気持ちがあったからでしょう。真実を追究する検察官としてあってはならないことだと思います。(続)