わき道をゆく第174回 政治と検察(その24)

▼バックナンバー 一覧 2021 年 12 月 3 日 魚住 昭

 1994年(平成6年)2月26日、札幌地裁で開かれた佐藤茂会長(カブトデコムグループの総帥)の初公判。検察側は冒頭陳述で「カブトは拓銀との間で92年10月下旬、カブトと同社関連企業の手形振り出し禁止を条件に金融支援の約束を取り付けたにもかかわらず、佐藤は11月ごろ、エイペックス社の手形帳をカブト出身の副社長に持ち出させ、中村社長名義の手形を偽造、行使するに至った」と述べました。
 これに対し佐藤会長は手形振り出しの正当性を主張して、起訴事実を全面否認しました。「手形の作成権限がないのに、あるように偽って手形を振り出し、私個人の債務返済に充てたという事実はありません。手形は権限のあるエイペックス副社長に、正当な工事代金として振り出してもらったものです。本件告訴後の昨年8月、拓銀は私のカブト社長退任などを条件に告訴取り下げを約束したが、その後、拓銀幹部が地検に告訴取り下げを申し出たと聞いています。これだけをみてもこの事件は本来なら民事的に解決すべき内容だった。事情聴取の時、福原検事さんから『もし佐藤社長が無実なら札幌地検は大変なことになる』と言われました。その時私は、地検は佐藤茂をどうしても有罪にしなければならないと考えているのだなと確信しました」
 それから約1カ月後の3月27日、札幌地検の次席検事は記者会見で「拓銀のカブトデコムへの融資をめぐり拓銀幹部の特別背任についても捜査したが、立件にいたる証拠はなかった」と述べ、一連の事件の捜査終結を宣言しました。
 この捜査終結宣言は佐藤弁護団には予想外でした。というのも、地検はエイペックスの手形偽造と並行してカブト関連会社のリッチフィールドの手形偽造事件など3件の捜査をつづけていたからです。その証拠にエイペックス事件の起訴状の欄外には、はっきりと「リッチフィールドの手形偽造事件についても(佐藤を)起訴する予定」と書かれていました。ところがエイペックスの手形偽造以外は嫌疑不十分で不起訴処分としました。弁護団の一人が言います。
「K検事はこの捜査終結宣言から4日後の3月31日付で東京地検刑事部に異動させられたんですが、ぎりぎりまでリッチの手形偽造など3件の不起訴裁定書にサインすることを拒みつづけていたらしいんです。最終的に上司から『おまえがサインしなくても、検察一体の原則があるから上司のサインでいいんだぞ』と言われて、やむなくサインしたと聞いています」
 K検事にしてみれば、拓銀・カブトの特別背任事件をつぶされ、さらにはリッチの手形偽造など余罪については起訴させてもらえず、終始不本意な捜査を強いられたことになります。
 こうした捜査の迷走ぶりが法廷の審理に悪影響を及ぼさないはずがありません。5月から8月にかけて最初の検察側証人として出廷したエイペックスの社長・中村学氏の証言は二転三転しました。
 二人目の証人であるエイペックスの経理担当取締役・近藤英雄氏の証言は検察側にとって悪夢のようなものでした。近藤氏は問題の64億円の手形について「それを振り出すことを代表権を持つ社長、副社長とも承知していた」と述べたのです。
 特任検事の福原健治氏(当時46歳)が札幌地検で首吊り自殺したのはこの近藤証言の翌日のことでした。福原検事の自殺とカブト公判のなりゆきは関係があるのでしょうか。一部には地検の上層部の介入で不本意な捜査を余儀なくされたことへの抗議の自殺ではないかとの見方もされましたが、地検関係者は一様にそれを否定しました。主任検事だったK氏は『週刊文春』のインタビューにこう答えています。
「検事にとってはどんな事件でも心労はつきものですけど、カブトと直接的な繋がりはないと思います。F(福原)さんは昨年でカブトの実際の仕事は終わっていて、私どもだけでやっていましたから、裁判の結果は主任の責任になりますから、主任検事が悩んでということなら動機として考えられるでしょうが、Fさんは応援の立場でしたからね。Fさんが心労でこうなったとすれば、新年度になってから主任で担当した事件で何かあったということなのではないでしょうか」
 たしかにK氏の言うとおり福原氏は自分が担当した詐欺事件の処分をめぐって懊悩していたようです。自殺から約5年後の1999年7月4日付の読売新聞の「94年たたき上げ特任検事自殺の『真相』」と題した記事が福原氏の自殺の経緯を詳しく描いています。
 それによると、自殺前日の昼、福原氏は通勤定期を購入しました。午後には、担当する詐欺事件の容疑者を調べ、5時すぎ次席検事に起訴の決済を求めました。この容疑者は知り合いの女性に、「君は知らぬ間に知人の借金の保証人になっている。オレが話をつけてやる」とウソを言って金を巻き上げていました。警察は「現金を脅し取った」として恐喝容疑で送検していましたが、その後、女性がウソを信じていたことが判明。容疑者も「だました」と認めたため福原氏は詐欺罪で立件しようとしました。
 ところが次席は記録書類にほとんど目を通さないまま、「警察の言うとおり恐喝罪で」と指示した。福原氏は肩を落とし「だめだったよ」と周囲に漏らしたそうです。疲れのためか、顔から生気が失われていました。1カ月の事件処理は前年に比べ倍の約15件にものぼり、夏休みもとれなかったそうです。
 福原氏は次席の指示通り容疑者から恐喝の調書を取り直し、午後10時半ごろ帰宅。翌日は午前6時半ごろ登庁し、同8時ごろ自殺を図ったということです。約30分後に部下に発見された時、恐喝罪の起訴状ができあがっていました。ゴミ箱には破られた詐欺の起訴状が投げ込まれていました。
 それから約1カ月後、札幌地検の会議室でトップの検事正、ナンバー2の次席を5人の部長検事が「彼は次席のむちゃな指示に振り回され、自殺したんです」「役所に殺されたという声もあります」と行って批判しました。次席は「まったく思い当たる節はない」と一蹴したそうです。
 部長検事の一人は「事務官出身の特任検事の自殺は、全職員の関心事だ。この会議内容は庁内誌に載せます」と迫りましたが、検事正に「それは認めない」と突っぱねられました。
「こんな会議は検察百年の歴史で前代未聞だ」
 部長検事が吐き捨てた言葉で、約3時間荒れに荒れた幹部会は打ち切られたといいます。
 読売新聞は当時の札幌地検に自由に意見を戦わせる雰囲気がなかったことや、トップ二人に対して何人もの部長が「次席に部下をばかにしたような発言が多すぎる」などと抗議していたことを挙げ、検事自殺の背景に上層部の理不尽な指導があったと指摘しています。
 これはカブト事件の捜査にも如実に現れています。グループ企業のオーナーが子会社の手形を振り出したのを捉えて手形偽造罪を適用するのがどほど不自然か、素人でもわかるような欠陥捜査を指揮した地検上層部の責任は大きいと言わなければなりません。
「もしカブト事件の捜査がK検事らが当初もくろんだように拓銀幹部と佐藤会長の共謀による特別背任事件や、佐藤会長がエイペックス副社長と共謀して手形を振り出し、エイペックスに損害を与えたという特別背任事件として進められていたら、裁判の結果はまったく違ったものになっていただろう」
 佐藤弁護団の一人はそう語りました。手形偽造事件の裁判はやがて検察側の無残な敗北に終わります。(続)

【著者よりお断り。前回のわき道連載第173回の記事中、カブトデコム関連会社としてエイベックスという記述が何度か出てきましたが、すべてエイペックスの誤りでした。著者の確認不十分によるものです。お詫びして訂正します】