わき道をゆく第175回 政治と検察(その25)

▼バックナンバー 一覧 2021 年 12 月 18 日 魚住 昭

 手形偽造事件の公判の行方が決定的になったのは1994年10月のことでした。佐藤茂氏(カブトデコムグループの総帥)の弁護団は札幌地裁に対し、エイペックスの子会社・北海道ビジネスネットワークが印紙売渡証明書をつづった領収書つづりを裁判所に提出するよう求める申し立てをしました。地裁はこれを認め、ビジネスネットワーク社から領収書つづりが提出されました。

 その結果、問題の約束手形の貼付印紙はエイペックスがネットワーク社を通じて購入していたことが明らかになった。つまり手形は佐藤氏が勝手に振り出したものではなく、エイペックス社が事前に手形の振り出しを承認していたことになります。

 11月から始まったエイペックス副社長・北畑昭一氏の証人尋問で佐藤氏の無罪は決定的になりました。検察が描いた事件の構図は、エイペックスで手形振り出しの権限を持っていたのは社長の中村氏だけであり、佐藤氏はその中村氏に無断で手形を振り出したというものでした。

 北畑副社長に対する尋問で検察側はエイペックス社の「社内規定」を示し、北畑氏には振り出し権限がなかったことを立証しようとしました。しかし北畑氏は「この規定は『案』であり、実際に適用されたことはない」と証言しました。

 つづいて検察側は中村社長の押印のある社内書類を持ち出して、手形振り出しの最終責任者は中村社長であることを立証しようとしましたが、北畑氏は「書類に欄があったから押してもらっていただけ、形式的なものだった」と答え、これも空振りに終わりました。

 さらに北畑氏は「エイペックスのオーナーは佐藤社長で、すべて権限は佐藤社長にあった。私はその佐藤社長からすべてを任されてエイペックスに入社し、工事関係の手形振り出しの権限は私にあった」と述べました。慌てた検察側は捜査段階での北畑氏の検事調書3通を持ち出しました。

 検事 9月24日付の調書に「最終振り出し権限は中村社長にあり、私にはどのような権限があったかはわかりません」とあるが?

 北畑氏 「(K検事に)形式的にはこういうことですね」と聞かれたので、確かに形式上はそうなので「そのとおりです」と言った。しかし「形式的」という言葉は調書に書いてもらえなかった。

 検事 調書に署名したではないか。

 北畑氏 早く検事室を出たくて、サインしてしまった。

 検事 調書の内容を読んでもらったでしょう。どうしてその時、「ちょっと待って。違う」と申し出なかったのか。

 北畑氏 訂正を申し入れたが、「いいんだ。いいんだ。これでいいんだ。わかっているから」と言われた。

 検事 供述調書が違うなら、署名しなければよかったではないか。

 北畑氏 そうでした。だから私は翌日から、何度も検察に出向いて訂正してくださいと言った。

 検事 そうしたいきさつがあったなら、K検事にここに来て、証言してもらったらいい。

 北畑氏 そうですね。私の言っているとおりに証言するはずだ。(註・以上のやりとりは『道新TODAY』1995年1月号からの引用)

 北畑氏の爆弾証言からしばらくして奇妙なことが起きました。審理を担当していた札幌地裁の裁判官3人全員が異動し、1995年4月から新たな裁判官3人で審理が継続されることになりました。通常なら3人のうち少なくとも1人は残って審理をつづけるはずなので、極めて異例なことでした。

 それだけではありません。検察側も捜査にかかわった検事と、裁判に立ち会った検事がすべて転勤となり、事件の複雑な背景事情を知る者は検察庁と裁判所からは誰もいなくなりました。

それから2年後の1997年6月13日、札幌地裁は佐藤茂氏に無罪判決を言い渡しました。

「本件手形を作成する権限を有する北畑副社長が被告人に本件手形の完成を許容していたことが認められるから、結局、被告人には、手形作成名義の冒用はなく、本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言い渡しをすることとし、主文のとおり判決する」

 事実はあっけないほど簡単なものでした。それを複雑にしたのは拓銀や検察側のさまざまな思惑だったと言うべきでしょう。検察側は判決を不服として控訴しましたが、1999年8月、札幌高裁は控訴棄却の判決を言い渡し、検察側は上告を断念して無罪判決が確定しました。(続)