わき道をゆく第176回 政治と検察(その26)

▼バックナンバー 一覧 2021 年 12 月 25 日 魚住 昭

 前に述べたように、カブトデコム事件の捜査の最終目標は政界汚職の摘発におかれていました。それにしても事件を手形詐欺として組み立てる危うさを捜査関係者がまったく意識していなかったはずはありません。それでもあえて強制捜査に踏み切ったのは、政界汚職を摘発して脚光を浴びたいという検事としての欲が事実を見る目を曇らせていたからだと考えられます。

 拓銀がカブトへの過剰融資で1千億円を超える不良債権を抱え込んだ法的な責任を追及しようとする検事の積極的な姿勢は評価されていいでしょう。その意味では「正義」は検察側にあるといってもいいでしょう。しかし、肝心の事実の究明があきれるほどなおざりにされています。「正義」と「真実」がずれているのです。

 実は東京地検特捜部が1996年に摘発した元石油商・泉井純一氏の詐欺事件でも同じ現象が起きています。泉井氏は通産官僚や有力政治家たちとの親密な交際ぶりがマスコミでもさんざん報じられましたからご記憶の方もおありでしょう。

 特捜部は泉井氏を「返済の意思も能力もないのにもかかわらず、取引相手の三井鉱山石油部の副部長を使ってウソの報告をさせ、三井鉱山の副社長をだまして融資名目で計約24億円を引き出した」として起訴しました。

 このとき検察内部にも「詐欺罪の適用は難しい」と異論がありましたが、泉井氏から政治家への贈賄の供述を得るまで身柄をつないでおく手段として詐欺罪が立件されたようです。結局、政界汚職は不発に終わり、泉井氏は関西国際空港社長への贈賄と、3億数千万円の脱税、そして詐欺罪で起訴されました。

 1998年10月、東京地裁は贈賄と脱税で泉井氏に懲役2年と罰金8千万円の判決を言い渡したものの、最も量刑の重い詐欺については無罪を言い渡しました。検察側の求刑は懲役7年でしたから、弁護側の勝利に近い結果といっていいでしょう。

 裁判長は判決文で検察側の捜査のあり方を厳しく批判しました。

「被告(泉井氏)に融資の返済能力がまったくなかったとは言えないし、三井鉱山の副部長が副社長に対して真実とちがう内容を報告したことを詐欺の欺罔行為と評価すること、及び副社長において錯誤に陥っていたかという点には重大な疑問がある上、被告人が欺罔の故意をもって、情を知った副部長を幇助的道具として利用し、あるいは副部長と相通じて副社長をだましたと認める証拠もないので、結局、公訴事実の証明がないことに帰するから無罪を言い渡す」

 この泉井事件だけでなく1990年代後半に入って特捜部が手がけた事件が無罪になるケースが相次ぎました。特捜事件に無罪判決が続くなど前代未聞のことです。裁判所の特捜部に対する信頼は地に落ち、「いったい最近の特捜はどうなってしまったんだ」という声が裁判所から漏れ伝わってきました。

 これは単に検事の捜査能力が落ちたということだけでは説明できない異常な現象です。もしかしたら検察は大きな陥穽にはまり込んでしまったのではないでしょうか。

 1990年代の検察のあり方を決定づけたのは1993年3月、東京地検特捜部が摘発した「政界のドン」金丸信氏の巨額脱税事件でした。金丸氏が割引債などに換えて隠していたカネは34億円余り。金庫の中には亡妻の遺産である金の延べ板などもあった。

 事件の衝撃はすさまじいものでした。3カ月後、旧竹下派の羽田孜氏、小沢一郎氏らを中心とした国会議員44人が自民党を離党して新生党を結成。10月の総選挙後に社会党、日本新党などとの連立で細川政権を樹立しました。38年間におよぶ自民党の一党支配の終焉です。

 金丸脱税事件はロッキード事件以来、リクルート事件を間にはさんで17年間つづいた検察VS田中・竹下派の闘いにも終止符を打ちました。自民党の分裂と細川連立政権の成立で検察の上にのしかかっていた政界の重圧は消え、むしろ検察は政界に対して優位に立ちました。それを象徴するのは捜査手法の変化です。

 ロッキード事件以後の17年間に摘発された政治家は撚糸工連汚職で2人、砂利船汚職で1人、リクルート事件で2人、国際航業事件と共和リゾート汚職で各1人の計7人。うち病院に逃げ込んだ元北海道、沖縄開発庁長官・阿部文男氏を覗いてすべて在宅のまま起訴されました。政界の無言のプレッシャーが検察に慎重なうえにも慎重な捜査を要求していたからです。

ところが金丸事件以後、そのプレッシャーは消え、政治家の逮捕が相次ぎました。ゼネコン汚職(1994年)の前建設相・中村喜四郎氏、二信組事件(1995年)の元労相・山口敏夫氏、日興証券利益要求事件(1998年)の新井将敬氏(逮捕直前に自殺)、そして後に公判中に自殺する元防衛政務次官・中島洋次郎氏に至っては、まず政党助成法違反容疑で逮捕し、つづいて公選法違反で再逮捕、さらに受託収賄容疑で再々逮捕しました。従来の政治家=在宅起訴のパターンは完全に崩れたと言っていいでしょう。

 こうした検察と政界の関係の変化と並行して、特捜部の捜査の持つ意味合いも微妙に変わっていきます。政官界汚職と大がかりな企業犯罪の摘発という従来の役割に加えて、新たに不良債権問題の処理にも深くコミットしていくのです。

 特捜部の住専捜査に典型的に見られるように、不良債権問題を無為無策のまま放置してきた政府や大蔵省に対する国民の憤激は1990年代後半から日増しに強まっていきました。その憤激を手っ取り早くおさめるには、大口不良債権の貸し手や借り手を処罰するしかありません。そうすることで金融秩序全体の安定を図り、日本経済の再生という国家的目標の達成に寄与していくのです。

 検察捜査が日本経済の再生という国家的目標に同調していくにつれ、検察OBが経済再生のカギを握る政府機関の要職を占めるようになります。預金保険機構の理事長に元特捜部長で最高検刑事部長だった松田昇氏が、公正取引委員会の委員長に元東京高検検事長の根来泰周氏が、証券取引等監視委員会の委員長には元名古屋高検検事長の水原敏博氏がそれぞれ就任し、1998年に新設された金融監督庁の長官にはやはり元名古屋高検検事長の日野正晴氏が抜擢された。これらのポストは従来の常識ではどれも大蔵省OBの指定席でした。つまり検察は金丸事件以後、自民党に対して優位に立っただけでなく、大蔵省との関係でもその勢力を飛躍的に増大させたのです。

 1990年代半ばから目立ち始めた検察の変貌。かつて彼らの行動を縛った冷戦構造は崩壊し、自民党や大蔵省も昔日の力を失いました。もはや彼らの前に立ちはだかるものは何もありません。いわば我が世の春を謳歌するうちに国家の秩序を支える司法官僚としての自負心がおごりに変わり、真実を徹底追及する精神が少しずつ失われていったとしても不思議ではありません。(了)

(編集者注・わき道を行く「政治と検察」は今回で終わります。来年からは「現代語訳・保古飛呂比(ほごひろい)」の連載を始めます。「保古飛呂比」は旧土佐藩士・佐佐木高行の”日記”《正確に言うと伝記資料》です。佐佐木は坂本龍馬と親しく、のちに明治天皇の側近ともなる人物ですが、彼の「保古飛呂比」は一般にあまり知られていないので、それを現代語に訳してご紹介しようと思っています)