わき道をゆく第268回 現代語訳・保古飛呂比 その91

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[参考」

一 九月十三日、異宗徒(浦上のキリシタンのこと)の取り扱いについて、仏領事の抗議があった。もっとも、この際、厳しく異議を申し入れたということであるという。

九月十三日、長崎の「御出役執権大人」(長崎奉行のことと思われる)へ申し上げます。先ほどお使いとして岡田というお役人を遣わされ、そのご口上によると、貴国(日本)のキリシタンのうち、五人ほど残し、その他は残らず出牢を仰せつけられたとのこと。そのお知らせの内容はすべて今朝聞いておりましたが、いずれともお話し申し上げませんでした。(聞いたところでは)昨日、牢内で九人ほどが厳しい呵責(責めさいなむこと)を受け、そのうち五人はとりわけ痛みが強く、出牢ができない状態になっているため、そのまま牢内に泊まったとのこと。岡田が申された五人はまったくこの五人の者どもと存じます。念入りなご使者のご口上を承りましても、どうしても理解しがたく、奇怪に思いました。(キリシタンに対する)憐愍の取り計らいをしてくださると聞いておりましたし、また、将軍とわが公使が約束された次第も大人(長崎奉行)より見せていただいた書翰により明らかでありますのに、誠にもって不都合の次第であります。この愚札(自分が出した手紙)の写しは我らの公使へ送るつもりです。このことを申し上げます。以上。

レック

長崎御執権さま

一 九月十四日、四ツ時(午前十時ごろ)、対決の予定で、運上所へ出頭したところ、(対決は)午後となり、再び出頭したが、またまた延期となった。

[参考]

一 同月十四日、浦上村の異宗徒をことごとく出牢させ、村預かりにしたとのこと。

印 伊豆守

印 岩次郎

印 喜太郎

フランス領事 ジョーゼフ、レック君

  我が九月十一日付の書翰をもってそなたに申し入れたキリスト教徒の出牢の件につき、なお貴国の(暦で)十月九日付の書翰によりるる申し入れのあった点について(そちらの言いたいことは)細かな点までわかった。右の宗徒のうち、以前言及した通り、(日本の暦で)今月十日までに出牢した二十八名のほか牢内に残った者たちの出牢を精一杯急がせた結果、同十二日に四十二人に出牢を言い渡し、昨十三日 に残り九人の出牢をこれまた言い渡し、いずれも帰宅させた旨、その筋より申し立てがあった。これで全員が出牢したので、そのことを貴国の公使へ書き送ったと思う。また、そなたからの手紙のなかで宗徒の改心を促すため、呵責拷問に及ぶように係官から命じた旨を伝聞されたとのことだが、すでに先日会ったときにも話した通り、右の宗門の一事については、かねて大君殿下(将軍)の特命もあって、我が政府の特別の仁慈をもって、諸事寛大な処置をしている。このためその筋の官吏もすべてその主意を奉じているので、苛酷な呵責等を下命するはずがないことは、おわかりになるはずだ。以上がそなたの手紙に対する返事である。謹言。

  慶応三年九月十四日

  平山圖書頭

  [参考]

  一 海援隊の商事秘記、次の通り。

  九月十四日、蘭商ハットマンと條約(取り決めを結んだという意味か)、ライフル一千三百挺買い入れのことを話し合った。ただし(手付金として)四千両を入れておいて、残りは九十日後に払うことになった。九月十五日、契約書と金四千両を持参。陸奥陽之助および請け人(契約の保証をする人)鋏屋與一郎・廣せ屋丈吉、[そのほか商人三、四人]、通訳の末永猷太郎とともに、出島のハットマン商会に出向き、昨日の約定の通り、ライフルを受け取ることを話し合い、その場で引き替えた。ハットマン商会よりライフル目録書ならびに品質請け合い書を出した。それには末永氏の翻訳書も添えられていた。

  この間、いろいろと「混じたる事」(※入り組んだ事という意味か)があった。

  ハットマンに出した証文に記す。

  証文のこと。

  一 ライフル 千三百挺

  ただし九十日の延べ払いのこと。

  代価一万八千八百七十五両

  内金四千両を入れる。

  また金三百六十両[九十日分割引]

  差し引き残り

  金一万四千四百九十両

  右はこのたび入用につき、あなた方より買い受けたことは間違いない。九十日限り代金をすべて納める。

  三年九月十四日

  松平土佐守内 才谷梅太郎

  ハットマン商社

  前書の通り間違いありません。もし万一支払いが遅れたときは我らより支払います。後日のために請け印をいたします。以上。

  廣瀬屋丈吉 印

  鋏屋與一郎 印

  一 このほか、九月中旬、長崎商人八幡屋兵右衛門を通じて薩州藤安喜右衛門へ大坂為替金五千両を相談した。

すなわち才谷梅太郎を借主にして佐々木三四郞が奥印(注①)した。その経緯を次に記す。

一 金四千両

右はハットマンにライフル代価の内払い金を入れる。

一 金一千両

うち五百両 田邊藩の松本検吾に渡す。証書は別にある。

また金二百両 長崎で隊長才谷梅太郎に渡す。

また金百五十両 長崎で口入れ料として菅谷・吉田が八幡屋兵右衛門に与えるという。

また金百五十両 菅谷・陸奥の両人が大坂に行く際の必要経費として持参。「細記志別に有之」(※細記は詳しい記述だが、志の意味が分からない)。ただしこのうちより末永ならびに商人謝義などを出しておく。また積み荷に要する費用も含まれている。

一 才谷梅太郎が買い入れたライフル一千三百挺のうち、百挺だけ長崎商人鋏屋與一郎・廣瀬屋丈吉の両人に預け置いた次第。

一 先日才谷梅太郎を買い主とした、蘭ハットマン商社より購入した一千三百挺のライフル銃のうち、百挺だけをあなた方お二人にお任せするので、代金全額払い入れ期限までしかるべくお取りそろえ下されたい。念のため謹書(謹んで書くこと)、そこで前記記載のとおりである。

年号月日

陸奥源二郎 印

菅野覚兵衛 印

[ただしこのとき居合わせなかったので印形はない]

鋏屋與一郎殿

廣瀬屋丈吉殿

右の通り渡し、また鋏屋・廣瀬屋両人より一札取る。

【注①。精選版 日本国語大辞典によると、奥印(おくいん)は「書類に記載された事実の正しいことを証明するために奥書に印をおすこと。また、その印。奥判。」】

一 九月十五日、この三、四日病気のため引き籠もった。同夜になって、芸州藩の船である震天丸の出帆のことに行き違いがあり、野崎傳太・山崎直之進の周旋をしたため、ついに徹夜になった。

一 福山・久留米・藝藩人よりの書翰、次の通り。

手紙でお知らせします。さて、明日、蒸気船が出港しますが、次の人員の乗り組みのことをやむを得ず頼まれました。もっとも、尊藩の方の乗り組み・ご同席をお断りするのではありませんので、お含みおきください。このことを一応念のためお知らせしておきます。以上。

慶応三年九月十五日

福山藩両人

久留米藩両人

上下二人

藝藩西本清介

佐々木三四郞さま 侍史

一 九月十六日、前日と同じく、藝藩船出帆の行き違いにつき、周旋のため数人が出入りし、夜の四ツ時(午後十時)ごろ休息した。

右の震天丸は芸州の船で、このたび上坂(大坂に上ること)するついでにと相談した結果、土佐へ廻してくれることになっていたが、同船は古船でいろいろ都合があって、変約(約束を違えること)したらしい。それゆえ混乱した。

一 九月十七日、五ツ半時(午前九時ごろ)運上所で対決、この日、両奉行そのほか係官、自分も立ち会い、雄二郎・安吾、また証人一人、ならびに娼妓三人。相手方は英米領事と例の英米の負傷者である。相手方が曰く。「私どもは杖でその場を払いのけようとしたのに、日本の士官が抜刀して激しく斬りかかり、私どもを斬り殺すつもりだと思ったので、逃げ去った。よくよくお取り調べいただきたい」。雄二郎曰く。「自分は決して殺意はなかった。事の起こりは女中に対して無礼をはたらき、助けを乞われたので手で制したのに、両人は大いに怒り、杖でやにわに叩きかかってきたので、どうにも致し方なかった。やむを得ず抜刀して防いだ。両人が意気込んでくる拍子に、自ずから刀に触れたものだ。もし殺意があるのなら、踏み込んで斬り込めば一、二刀で倒すことができる」。相手方が曰く。「殺意がないのにこのような深手になるはずがない」。互に争った末に相手方が曰く。「この通りの深手で痛みにたえない。これを見たまえ。彼はウソを言っている。悪人だ。あなたはどう考えるか。虚言に違いない」と自分に向かって詰め寄ってきた。自分曰く。「雄二郎のいうことは嘘ではない。もし殺意があれば、一刀に首を切り落とすか、または胸を刺し貫くかするに違いない。もし誤って、一、二刀で目的を果たせず、敵が逃れて行ったとしても、どこまでも追いつめ、斬り殺し、その身も自殺して謝罪することが我が日本の士官の仕業である。雄二郎が防いだからこそ、あなたがたは無事なのだ」と。相手は怒り、その傷を出し示して、痛みがひどいと、わざとその席に倒れて、大声で泣いた。わが国でも▢▢▢・・▢▢▢(※この部分の四十二字は差別を助長する恐れがあるので訳者の判断で削除します)、文明国と威張る国民の、外国の堂々たる調べ役所での、このような事実に驚き入った。いかに下等の人民とはいえ、恥ずべきかぎりである。それで対決は済み、証人を呼び出す。少年は公式の場所に怖じ気づいたか、十分に申し立てできず、いろいろ係官が諭して、ようやくその時の模様を述べた。次に丸山の娼妓である。いずれも大いに恐怖して、ただぶるぶる震え、低頭して一言もしゃべることができなかった。これも係官たちから種々言い聞かせ、ありのままに申し立てることがかえってよろしく、もし偽ったり無言のままだったりすると為にならぬと、あるいは諭し、あるいは叱りなどして、少しずつ小声で現場の事実を申し述べた。このように娼妓などが恐れているのは、外国人が丸山などで乱暴することがあっても、みだりにやかましく申し立てると、かえって災いとなることもあり、外国人にはまことに手ぬるく当たっていたとのことで、長崎では総じて外国人はわがまま勝手の模様であるゆえに、後難を恐れ、また、取り調べの場所で堂々と役人が列座していることにも臆したのであろう。

右の証人を調べているときは、自分らは次の間に退き、すき間からのぞき見していて、実に気を揉んだ。(これらの証人たちには)かねて内々に十分証拠を申し立てるように言い含めておき、かつまた証拠が立派に出たならば、褒美を遣わすことも言っておいたのであるが、なにしろ関わり合いを恐れ、(証拠として)出るものが少なかった。そのうち洋酒店で、早朝に彼の米英人が洋酒をかなり飲み、代価を払わずに店を出た後、例の事件が起きたということを洋酒店より申し出たとのことである。

右の証人を取り調べのうえ、まず今日はそれまでということで済み、退出した。夕方の七ツ半(午後五時)ごろ帰宿した。

右の詳しいこと、談判書などはその都度本藩に送るので、大要のことのみ記した。

明日、震天丸で岡内らが帰国するので、書簡をしたため、その夜、野崎傳太の下宿の西川に行った。九ツ半(午前一時)に帰宿。その後、傳太が来て、仕事の話をして、そのまま八ツ半(午前三時)ごろから出発した。

一千八百六十七年十月十四日、長崎運上所で、

英人アンデルソンを傷付けた

土佐の人島村雄次郎の尋問の経緯

列座の顔ぶれ

マルキユスフローエルエスクワイル(弁護士)

長崎奉行 能勢大隅守

同 徳永石見守

チーシムールエスクワイル(弁護士)

リユツセルロベルルトソンエスクワイル(弁護士)

一 「アンデルソン」は十月八日(日本の九月十一日)朝、江戸町の一件を英国領事の前で申し述べた通り、逐一相違なく再び語り、奉行に向かい、

私は丸山に参り、それから江戸町へ行きました。

「アンデルソン」と同伴した米人「ワルレン」も、英国領事の前で申し述べた通り、逐一御書[ママ]を読み上げた。

島村雄次郎の言い分。

十月八日朝、六時半のころ、私ならびに同伴の者一人が江戸町を通行していたところ、「アンデルソン」「ワルレン」も同町におりました。そうしたところ、「アンデルソン」が往来の一婦人を押し止め、その婦人は恐怖の様子に見えたので、私は手振りでノーノーと言ったところ、同人(アンデルソン)は私の方へ向き、拳で痛く私を打擲しました。また、自分から防禦するようにして杖を振り上げました。私は抜刀しました。もとより外国人を殺害するつもりはありませんでした。ただ白刃を示して威すつもりだったのですが、「アンデルソン」は杖で私を打ちました。かつまた私が抜刀して「ワルレン」を傷付けたのは、まったく不意の誤りで、「アンデルソン」に二カ所の傷を負わせたのも、その杖の打擲を防ぐときに図らずも誤って傷付けたのです。

年齢十四歳の野口三郎の言い分。

私が十月八日朝、江戸町で見たのは、日本婦人数人が同所を通行していたところです。この外国人二人が一婦人の手を取って押し止めていました。そこへ日本の武士二人が通りかかり、外国人へ何か言葉をかけたところ、その言葉に立腹した様子で、「アンデルソン」が杖を振り上げました。しかしながら雄次郎を打擲する様子は見えませんでした。

また同人(野口三郎)は奉行に向かい、

同人(アンデルソンのこと)は雄二郎の肩へ杖を当てましたが、それはまったく雄二郎を押さえ付けようとしたまでのことで、撃つ様子は見受けませんでした。

「アンデルソン」「ミストルフローエルス」に向かって、

その杖は鐘木(柄がT字形になっている杖のことか)ではなく、手に持つところが少し曲がっているだけでした。

寄合町の女郎・敷波の言い分。

私は十月八日の朝、仲間の婦人三人と一緒に江戸町で外国人一人「アンデルソン」と行き違いました。彼は私の手を握って背をたたいたので、なんとかして振り放そうとしたところへ、日本の侍二人がやってきて、「アンデルソン」に向かって何か言葉をかけました。すると、彼はその言葉に立腹した様子で、杖を振り上げ、手で一人の侍の喉を打ったのですが、あまり激しく打った様子ではありませんでした。私は恐ろしくなって、逃げましたので、その杖でどういうことをしたか、その後の成り行きは存じません。

また(敷波は)「アンデルソン」に向かって、

あなたが手で雄二郎を打ち、杖を振り上げた後に私は逃げ去ったのですが、はじめにその侍が来て、あなたに言葉を掛けたとき、直ちに逃げ去りはしませんでした。

また(敷波は)「フローエルス」に向かって、

「アンデルソン」がどっちの手で私の手を握ったのか覚えていません。もっとも、私の手を取り、私の背を叩きましたが、痛めたというわけではまったくありませんでした。「アンデルソン」が手で侍を打ったことは、ちょうど私が逃げ去るときに見受けました。私自身は大声を発して助けてくれるようにと侍に呼びかけたことはありませんでした。また「アンデルソン」のほかに外国人を見たかどうかもわかりません。「アンデルソン」が私の手を握ったとき、私は同人に我が身に触れないようにと言いました。私には連れの婦人が三人ありましたが、先に行ったので、「アンデルソン」がそれらの婦人に向かい、何事をしたかは見ていませんでした。

モトシタ町の町人弁之助の言い分。

私は十月八日朝、倅を連れ、上陸場より祭りに行く途中、江戸町で外国人二人を見かけました。そのうち一人が杖で日本の侍を打ち、さらにまた手で打擲しました。もっとも私は遠方に隔たっていましたので、この外国人のうちどちらの方だったかわかりません。また、その場の様子が恐ろしくて、ただちに上陸場に引き返しました。

また同人は「ミストルフローエルス」に向かって、

外国人は杖で日本の侍を打ち、かつ、その杖に両手を掛けていました。ただ、敷波を見受けたかどうかについては、私は覚えておりません。杖もずいぶん太いもので、左の方を三つ四つ打ったように見えました。外国人二人は互に間近に立っておりましたので、一人の方は何事をしていたかわかりませんが、ただその傍らに立っているように見えました。

また同人は「アンデルソン」に向かい、

これらの打擲ははなはだ激しいものでした。

「ミストルフローエルス」は奉行に向かって、

弁之助の言い分は怪しむべきです。同人の言い分では婦人敷波を見受けなかったとのことですが、敷波は「アンデルソン」の手で雄次郎を打つところを見受け、杖を用いているところは見届けていないと言ってます。

敷波の連れの婦人三人も役所へ申し出をした。その者たちの言い分。

私どもは外国人の顔を見かけてすぐに逃げ去ったので、この件については何事も存じません。

雄二郎は「ミストルフローエルス」に向かって、

二人とも杖を所持していて、「アンデルソン」は二三度、「ワルレン」は一度、私を打擲しました。そのうえ、二人とも私をたびたび打とうとしました。「ワルレン」は私の左の肩を打ち、「アンデルソン」も随分太い杖を所持して、その杖の端は曲がっていました。

「ワルレン」は「ミストルムール」に向かって、

「アンデルソン」が雄二郎を打ったところは私は見ていません。

雄二郎は「ミストルフローエルス」に向かって、

私には打ち身の痕跡はなく、肩は二三カ所腫れ上がっているが、打擲は強くありませんでした。

雄二郎は「ミストルムール」に向かって、

私が最初「ワルレン」を切ったのは、抜刀の際、はからずも誤ったのであって、「アンデルソン」を切ったのも同様の次第で、私自身を防禦しようとしたときに不意に誤ったのであります。

「ミストルフローエルス」

この件についてあなた[奉行のことである]の見込みを承りたい。

奉行

二人とも疵を負ったのは間違いないことではあるが、雄二郎がほんとに疵を負わせるつもりで抜刀したのか。または誤って傷付けたのか。そこに疑問がある。雄次郎がまったくその身を防禦するために抜刀したということにつき、この点はただただ何とも判定しがたい。

「ミストロフローエルス」

あなたは雄次郎が抜刀したのをもっとものことだと思われるか。

奉行

拙者の考えでは、雄次郎がわざと「アンデルソン」を殺害する意図があったとも思われない。同人はその身を防禦するため、やむを得ず抜刀したということだ。もし心が賤しく卑怯な者ならばその場を逃げ去ったはずである。

「ミストロフローエルス」

拙者は、ただ雄次郎の抜刀をあなたがもっとものことと思われるかとお尋ねしたのであるから、ただただ(その問いに対する)はっきりした答えをいただきたい。

奉行

雄次郎はその身を防禦するために抜刀したのであるが、あなたのお尋ねに対しては後日返答したい。

「ミストルフローエルス」は、さらにまた奉行に全体の事情を説き、「アンデルソン」の侍を打ったことは確証もないが、まずこれを打ったものと見なしたところで、その打擲は雄次郎の生命を害すべきほどのものなのか。これがため同人の刀を抜いたのはもっとものことであるか。このことが事を決する大眼目なので、その決断は奉行にしてもらいたいと申し述べた。

奉行の言うには、罪状のことについて、奉行の権限により判断の内容は申し述べるつもりであるが、これを刑に処するのは大君(将軍)の決断であるので、両奉行の判断では、雄次郎は無礼を受けたので、その刀を抜いたこともたぶん相当のことと思うが、さらにまたこのことについて当国の法律を吟味したいということである。

「ミストルフローエルス」は、もし抜刀を許せば、長崎の町中に争闘が絶え間なくなるのではないかと言った。

一 [土佐藩の]参政・大監察への書簡、次の通り。

一筆啓上いたします。まずもって皆々様がますますご機嫌良く、恐悦至極に存じます。さてこのたびの一件も、いろいろ混雑し、英人との談判も、二度ばかりし、鎮台(奉行)・両監察などのところにもしばしば行きました。その結果ようやく今月の六日ごろになって、外国人らの疑念は晴れ、一切済みましたが、横笛船の出帆のことについて、次第に取り調べになり、ついに不束の処分になり、心配はこのことでありますが、詰まるところ思いもよらぬ疑念を受け、すでに出帆していたところを差し止められて、三日間もぐずぐと過ごしたため、右の次第に立ち至ったのです。しかしながら、その際に一言、鎮台に(岩崎)彌太郎よりきちんと申し出ていたなら、今日の申し立てのしようもあったでしょうが、海援隊よりの申し出の筋が貫徹せず、そのうえ佐々木栄の聞き取りによると、すこぶる不行き届きの理由によることで、遺憾ではありますが、致し方ありません。右のことについて一同帰国するようにとのお沙汰になり、いろいろ申し立ての筋もありましたが、お聞き入れにならず、これまた致し方ありません。[以下欠損]

九月一七日に記す

佐々木三四郞

参政・大監察御中

一 九月十八日、朝七ツ半(午前五時)ごろ、才谷が来て、話し合った。これは土佐に行った上でのことであり、また上京した上でのことなどである。日の出ごろより、俊太郎・梅太郎・庄次・覚兵衛が震天丸に乗り込むので見送りに行き、横笛船へも立ち寄り、また平山圖書頭・戸川伊豆守・設楽岩次郎も(江戸に)帰るので、飛龍丸へ行って、暇乞いした。

このたびの英米人を傷付けた事件について、もし(英米側が)賠償金などを差し出すように言ってきたときはどうするかという議論が起きた。先日来いろいろ論究したが、相手側は暴である。我が方は直である。それなのに相手国より直である方へ賠償金を催促し、幕府がその意を受け、我が藩に迫ってきても、賠償金を出す筋はない。もし出したなら、我が藩の汚辱のみならず、日本の国体を汚すことになり、どれほど厳重なお達しがあっても、受けないことが当然だろうと評決した。果たしてこのように確答すれば相手は軍監を我が藩に差し向けてくるかもわからず、藩論を一つに定めないと危うい。今日我が藩も俗論が多く、幕府の命令であれば是非なく承諾するかもわからず、この辺りのことを速やかに藩庁に通知すべきだとして、今度帰国する人を通じて連絡することにしていたが、追々談判の模様や、幕吏の話しぶりも賠償金などのことはあり得ないだろうと思われたので、長崎での議論の経緯を本藩に一通り知らせる位でよいだろうということになった。午後、喜之助・安兵衛と藤屋で酒を酌み、初夜(午後八時ごろ)帰宿した。長崎に来て、今日までは日夜多忙で、つねに何人かが昼夜出入りし、少しも暇がなかったが、大いに暇になった。ただただ英米人の事件のみである。しかし、今日の談判でだいたいのことはわかり、格別の心配もないだろうと快寝した。

このたびの長崎行きは、最初英水夫を長崎で殺害したとして、幕府からひどく責め立てられたのは、結局のところ、幕府の奸策であって、今日(土佐藩が)薩長と結んで大政返上の建白などいろいろ難題を吹っかける形勢を見て、英人の事件を土佐人の犯行と言い触らさせ、藩内の混乱を引き起こさせたものだと、大きな疑念を抱いていたので、大坂での板倉閣老との談判のときも、自然激烈になり、御国(土佐藩)でもその疑念が晴れず、長崎に出て来てからも最初はその心持ちだったが、しばしば談判などをしたところ、決して幕府の奸策でなく、幕府も内外の情勢が切迫して威力もなく、ただただ困却している状況だとわかった。それゆえ、長崎でも昔の威権はないように思われた。もし昔のようであれば、我々のように激論を持ち出したなら、とっくに取り押さえられていただろうと、人々と毎度内輪話をした。

一 坂本(龍馬)氏よりの書簡、次の通り。

お目に掛けておいた木圭(木戸孝允のこと)より私に来た手紙、長文の方をこの者に持たせてやってください。謹言。

九月十八日

佐々木三四郞さま

左右

(以下は佐々木高行の追記)この手紙に長文の方とあるのは、木戸準一郎(木戸孝允の

変名)よりの書簡二通のうちの一通のことである。返却したところ、(海援隊の岡内)俊太郎が帰国したとき本山只一郎に渡したということを後日聞いた。その書簡の文意のなかに、今度後藤君のかねての大政返上の建白芝居が八、九段目に至るときは、容易ならざる議論が起きるだろう。その場合には乾君[退助のこと]の兵力芝居となって、初めて十段目打揚げとなるにちがいない云々。この書簡について本山の方に問い合わせたが、(本山が)死去したため行方知れずである。遺憾遺憾。

(続。誤訳がいろいろあると思いますので、引用・転載はご遠慮ください)