メディアと知識人第一回
2007年3月11日 「フォーラム神保町」佐藤優×和田春樹セミナー
佐藤さんがだいぶ話してくださったから、僕が話すことはないような感じですけれども(笑)。与えられたテーマは「メディアと知識人」です。このごろ私はメディアと関係がないですから、メディアと政府と知識人というように広げて、北方領土と慰安婦問題を中心にお話しさせていただこうと思います。
知識人について、佐藤さんからロシアの思想家の話がありました。19世紀の70年代初めにラブロフという思想家(1823~1900)の本、『歴史書簡』が当時のインテリに非常に強い影響を与えました。それを読んだ青年たちがいろいろな行動を起こすことになります。その本の中で、ラヴロフは知識人というものがどういう存在かという定義を与えています。知識人とは「批判的に思惟するリーチノス」であるというのです。「リーチノスチ」という言葉は人格とか、個性とか、主体というような意味のロシア語の言葉です。もとになっているのは「リツォー」で、これは顔という意味の単語なんです。その言葉に接尾詞がついたのが「リーチノス」です。知識人とは「批判的に思惟する主体」と言ったほうがわかりやすいでしょうか。それから考えると、知識人というものは、職業は別に関係がない、批判的にものを考える人間が知識人なのだということになります。だから知的な職業に就いていても、批判的に考えることができない人間は知識を売っている商売人にすぎないということです。ラヴロフの言葉は、私にとって自分が知識人だと考えるときに一番重要なポイントとして考えてきました。19世紀のロシアの青年たちと同じように、私も考えてきたわけです。
日本では知識人というと、かっては「反政府的である」、「反体制的である」、それが知識人だという考え方がありました。政府に対して協力するとか、体制内的な発言をするような人に対して、変な目で見るような雰囲気がありました。その理由はこれから説明しましょう。私の考えでは、知識人とは批判的にものを考える人間のことだが、批判的に考えるということは別に反政府的であるということにはならない。政府に対して、良ければ「良い」と言うし、悪ければ「悪い」と考える存在である。もちろん「革命が必要である」と考える人も知識人です。いろいろな知識人がいるということになる。この点が重要なポイントです。こういうことを考える前提として、今は大きく変化してしまった戦後の冷戦期のあり方があります。そこで戦後の日本の知識人とメディアと政府の関係というものについて述べてみたいと思います。