メディアと知識人第一回

▼バックナンバー 一覧 2009 年 5 月 14 日 和田 春樹

 まず北方領土問題です。佐藤さんの前で北方領土問題について話すとは気が重いですね(笑)。私はロシア史をやろうとして、大学に入学したのは1956年のことです。まさにその年が日ソ国交樹立の年であり、日ソ共同宣言の年でした。ところが、当時ロシア史を研究しようとする人は基本的に言うと、ロシア革命に関心をもっている人でした。ですから日ソ国交樹立、日ソ共同宣言がほとんど関心の対象にならない。考えてみれば、おかしいですよね。ロシア史を研究するためにはロシアに留学して勉強しなければなりませんから、ロシアと国交が樹立したなら、文化協定が結ばれるかどうかということは大きな関心になるべきなのに、そういう考えにはなっていなかったのです。
 私たちはロシア革命の次には、スターリン批判に関心がありました。1956年は第20回党大会でスターリンが批判された年ですね。それから秋に起こったハンガリー事件にも関心がありました。そういうわけですが、日ソ共同宣言にはあまり関心をもたないという状態でした。
 私はずっとあとになって、1980年代にソ連の歴史家とシンポジウムを定期的にやる中で、80年代半ばでしょうか、日露関係についてのソ連側の報告を聞いて、私は初めて領土問題が深刻な問題だということに気づきました。恥ずかしいことですね。ロシア史を30年くらいも勉強してきて、そのときに初めて日ソ間には領土問題という大変な問題があるということがわかったのです。日本とロシアの関係にはある程度関心をもっていたのですが、領土問題にはまったく関心がなく、調べたことも一度もなかったのです。
 そういうことを考え始めたときが、まさに1986年、日ソ共同宣言から30年の年でした。その前の年に、ソ連にはゴルバチョフという新しいリーダーが登場していました。日本政府はゴルバチョフを招待して日本を訪問して貰おうとしている。北方領土問題というものにも新しく光が当たってくる。こういう状況ですね。ロシア史の専門家も、これだけ国民が悩んできた北方領土問題が解決できるように、研究して提言する、調べて提言するということは義務ではないかと思いました。

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