月刊日本佐藤優×山崎行太郎 憂うべき保守思想の劣化!

▼バックナンバー 一覧 2009 年 6 月 12 日 山崎 行太郎

「証言」は絶対ではない

 
山崎そうです。最近の保守派を見ていると、悪い意味で完全に左翼化していますね。左翼的な集団主義的な市民運動や裁判闘争ばかりで、思想闘争や言論闘争が無視されています。しかもその裁判もかなり政治的で、この「沖縄集団自決裁判」だって、赤松氏等の名誉回復が主目的だったら「沖縄タイムス」刊行の「鉄の暴風」をまず訴えるべきでしょう。何故、それを引用して論を組み立てた大江健三郎なんですか。最近は、「つくる会」の分裂騒動はありましたが、それ以外に保守派内部に批評や論争がまったく不在です。「左翼か右翼か」とか「反日か親日か」、「反中か親中か」とか、単純な二元対立を作って、敵か味方かというレベルで議論している。保守派内部にだって思想的な差異や対立、あるいは論争などは当然あるはずでしょう。しかしそれが認められない。佐藤さんが言う、真理はある、ただしそれは複数存在する、という、複数の真理、真理の多元性を内包できるのが、元来の右翼だと思うのですが、しかし昨今の保守論壇は「全員一致」でなければならないと思っているようです。
 ところで、曽野綾子さんにはもう一つ、取材や調査に関する方法論の問題があります。大江さんは、「沖縄タイムス」に連載された「鉄の暴風」というルポルタージュをベースに「沖縄ノート」の赤松批判の部分を執筆したわけですが、それに対して自分は現場に出向き、現地で取材をした、当事者から直接聞いた、だから自分のほうが説得力がある、大江健三郎は現地には一度も取材に来ていないから駄目だ、という論理構成を曽野さんはとりますが、これは間違っています。現場の声であればそれが唯一の真実である、という発想は危険です。物事には近くから見ないと分からないこともあるけれど、逆に、遠くから初めて見えることもある。現地に赴かずに資料を読み込んだ大江健三郎が真理を掴めていない、とは言えないのです。そもそも現地で体験者たちに直接的に取材すれば、常に真実を証言してくれるはずだ、という前提がおかしい。初めて会った余所者に簡単に、一家や一族の命運にかかわるような歴史の秘密など告白するわけないでしょう。赤松や赤松部隊の隊員にも直接インタビューしたと曽野さんは言うわけですが、そもそも証言や告白には常に嘘と虚偽が付きまとう……というようなことは文学者なら自明なはずですが、曽野さんにはそれがわかっていない。皮肉なことに、私のテキスト・クリティークによって、曽野綾子の『ある神話の背景』は、その素朴な現地取材主義と素朴な実証主義の理論的破綻が明らかになったというわけです。

佐藤1対1の取材であれば真実である、というのは検察の論理と同じですね。この前、元特捜検事の田中森一さんと対談しているとき、ハッと思ったことがあります。田中さんが「日本の司法では、裁判所で陳述した意見よりも、検察官と1対1で供述して取った調書のほうが信頼される」というのです。それは、密室では人間は本当のことを言う、という日本的な認識が暗黙の前提になっているからです。1対1で話を聞いたから、その内容は真実であるという根拠などありません。
 さらに言えば、現場絶対主義というのも、真理を見出す方法とは言えません。インテリジェンスの世界では、できるだけ正確な分析を得るために分析官を現場から遠ざけることがむしろ普通に行われています。CIAには外国の分析を担当する分析官がいますが、そういう人たちは決して現地には行かないのです。中国の専門家は中国には行かないし、ロシアの専門家はロシアには行かない。それは、行けば必ず私的感情や先入観が生じ、不必要なバイアスがかかるからというのがCIAの言い分です。もっとも、イスラエルでは、私情と分析を区別する訓練ができていると認定されれば、現地で調査することもあります。

山崎私情の混入というのは大事な指摘ですね。曽野さんが全面的に依拠している資料テキストは、赤松隊の谷本小次郎という隊員が、昭和45年にまとめた『陣中日誌』ですが、これは面白い資料ではありますが、後日の加筆修正、削除などの疑いが濃い。現に赤松自身が少年処刑の部分を、書き加えたと証言しています。曽野さんも認めていますが、赤松隊とも密接な係わりがあったはずの朝鮮人慰安婦や朝鮮人軍夫のことにもまったく触れていません。要するに自分達に都合の悪いことは書かないか、削除したという可能性を否定できない。とすればですね、その性質上、赤松隊にとって好意的な記述となっているのは当然なのです。少なくとも客観的な資料ではないし、絶対的なテキストではありません。この資料に全面的に依拠している曽野さんの歴史記述は、第三者的な、客観的な立場から記述しているかのように装っていますが、その根底では実は、赤松隊長の娘を「お嬢さん」と呼び、「極悪人」とか「戦争犯罪者」呼ばれる父親を持った彼女達の人生が不憫である、とかいうようなことを書いていることからもわかるように、最初から赤松隊長擁護、赤松部隊擁護を目的に書かれたものだと言っていいと思います。逆に、投降勧告に来て、自決を強いられ、自決幇助という名の下に赤松部隊の隊員に斬殺された伊江島の若い女性達には、曽野さんは、一片の憐憫の情すら感じていないように見えます。曽野綾子の歴史記述のエクリチュールの政治性は明らかです。そういう立ち位置であれば、見えてくる真理も大江氏のものとはだいぶ違ってくるのも当然なのです。むろん、曽野綾子のような歴史の書き方はあり得ます。ただ、それが絶対的な、唯一の沖縄集団自決に関する真実の歴史記述だとは言えないということです。

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