メディアと知識人第一回

▼バックナンバー 一覧 2009 年 5 月 14 日 和田 春樹

《木下敬之助委員 最後に外交問題で一点お伺いして、質問を終わりたいと思います。
 ソ連のゴルバチョフ書記長の来日が実現するのかどうかということが日ソ外交の焦点となっておりますが、もし日ソ首脳会談が実現すれば、当然領土問題が議題になると思います。北方四島一括返還は我が日本国民の悲願とも言えるものでございますが、このところ二島返還という観点に立った記事や論文をいろいろと見かけます。きのうの世界日報にも載っておりましたし、九月九日の世界週報にも「歯舞、色丹の二島返還はあり得る」こういった推測記事が掲載されておりました。この記事を書いた方は外務省の動きをかなりよく知って書かれたのかなとも思いますが、どういうことでございましょうか。外務省、そして総理の御見解をお伺いして質問を終わります。

 中曽根内閣総理大臣 この間も、衆参両院におきまして満場一致で四島返還の御決議をいただいて、これが国民的合意であり、悲願であります。政府はそれを体してやるのでありまして、二島返還というものを考えてはやらない、四島返還というものをばっちり考えておるということを申し上げます。》(衆議院予算委員会 1986年11月5日)

 何が問題かというと、中曽根首相が領土問題で新しい道を選ぶのではないかという心配が当時非常にあったわけです。実際中曽根さんにそういう気があったかもしれませんね。それを事前につぶそうというわけです。僕のほうはまったく関係はないのですが、中曽根首相と中嶋氏とは関係があるのではないかと思われたのでしょう。
 右の方からは、朝日新聞の記事を見て「けしからん」という手紙が五通ほどきましたが、ほとんど恐怖を感じるような状態ではありませんでした。
 そして87年になってから、伊藤憲一氏が「北方領土『2島返還論』を疑う」という論文を書きました(『諸君!』1987年2月号)。伊藤氏は外務省のOBで、青山学院大学教授です。この人はその論文で、「和田の論文を読むと、この人物が日面ソ心だということがわかる」と書いています。つまり顔は日本人だが、心はソ連人だということです。「人面獣心」という言葉のもじりです。日本人は人間で、ソ連人は獣だというのですから、あきれます。その後、私はアジア女性基金の関係で、秦郁彦氏から「日面金心」だとも言われることになります。「金心」の「金」は金大中の金か金日成の金かわからないと言われています(笑)。こういうレッテル貼りがされた最初が伊藤憲一氏のコピーなのです。
 これは大変なことです。中世から近代の初期であれば、私は当然決闘を申し入れるところです(笑)。こんなことを言われて黙っているわけにはいきません。しかし今の時代にそんなこともできませんので、私は伊藤さんの論文をしげしげと読み、ここが問題だというところを発見して、一本打ち込みました。
 私は『世界』の論文の中で、「クリル諸島が何かということは、世界の百科事典を見れば一目瞭然だ。クリル諸島の中に択捉島も国後島も入っているし、色丹島まで入れているのが普通じゃないか。どの国の百科事典でもそうなっている」と書いているのですが、伊藤氏は次のように書いたのです。「和田は得意になって百科事典を引用しているようだが、そんなことには意味がない。国と国の外交では、外交文書しか意味がないのだ。日本とロシアの外交文書にどう書いてあるかが問題だ。日本とロシアの外交文書、即ち1875年の千島・樺太交換条約を見ると、クリル諸島というのは得撫島以北であるということが明らかだ。」
 私は伊藤氏のこの主張に注目して、調べた結果、決定的なことを発見することになったのです。そこで書いたのが、「千島列島の範囲について——『北方領土』問題を考えるために」という論文です(「世界」87年5月号)。条約には正文というものがあります。これを両国で共通に確認して、調印するのです。千島・樺太交換条約の正文はフランス語でした。それに日本語とロシア語の訳がついています。しかし、それは単に訳文にすぎないのです。伊藤氏が、千島・樺太交換条約を見ると、クリル諸島というのは得撫島以北だとわかると言うとき、伊藤氏が見ているのは、日本語訳文だけなのですよ。フランス語の正文を読んだらそうは読めない。ロシア語の訳文もそうは読めないわけです。ですから私は『世界』の反論に書きました。「外交交渉で意味があるのは、訳文ではなくて正文である。それがわからないのか。あなたの言うことはまったく成り立たない。」これが決闘の代わりです。伊藤氏が私のことを「日面ソ心」だと非難したことには触れませんでした。

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