メディアと知識人第一回

▼バックナンバー 一覧 2009 年 5 月 14 日 和田 春樹

 90年代に入ってからはゴルバチョフが日本にやってきましたが、56年宣言の再確認もできずに終わりました。エリツィンのロシアになってから、4島返還に期待をかけて宮澤(喜一)総理と渡辺(美智雄)外務大臣が交渉しましたが失敗し、エリツィンは訪日をドタキャンしました。そして93年には反エリツィン派が立てこもるホワイトハウスに砲弾を撃ち込んでから日本に来た。そして東京宣言(93年10月13日)で「歴史的・法的事実、両国合意文書、法と正義の原則に立って四島の帰属問題を解決する」というところまで来たというわけです。ところが実際には何も話は進んでいないのです。歴史の問題にしても法律の問題にしても、ロシア側にはロシア側の考え方があります。日本人は歴史的事実について考えれば、四島の日本帰属になると思いましたが、そうはならないのです。それで東京宣言のあと、完全に行き詰まってしまったのです。
 90年代の半ばになって「これではダメだ」ということになり、外務省の中でいろいろなご努力があったようです。完全に行き詰まっているということは私も感じていました。そこで、あるとき出版記念会の場で外務省の方の前で、話をする機会がありました。私が「外務省は外務省、学者は学者で、自分の世界だけで意見を言っているだけではダメだと思う。学者も苦労している外交官に協力して、お互いに議論をして何か道を見出さなければ解決に至らないと思っている」と言いましたら、そのときにロシア課長だった原田親仁氏が「和田さんと話す用意がある」と言ってくれました。

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