読み物スクープした記者が明かす 恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか

▼バックナンバー 一覧 2012 年 12 月 6 日 立岩 陽一郎

■あんた、中小企業を知らんやろ

 この問題は最初、大阪で労働問題に取り組んでいるNGO「関西労働者安全センター」に持ち込まれた。昨年3月のことだ。
 同センターでは事務局次長の片岡明彦が応対した。片岡は、アスベスト被害の追及で知られる労働問題のプロである。
 持ち込まれた情報は詳細な内容だった。ほぼ同じ時期に同じ職場で働いていた印刷会社元従業員5人が胆管がんを発症し、そのうちの4人が死亡――。労働災害であろうことは容易に想像できた。
「胆管がん? 聴き慣れない病名やな。第二のアスベストか?」
 そんな思いが片岡の頭をよぎった。彼はすぐ、産業医科大学准教授の熊谷信二に連絡を取った。熊谷は労働環境における化学物質検査のエキスパートで、アスベスト問題のときには疫学調査も行っている。片岡とは当時から同志といえる関係だった。二人はまず、寄せられた情報の確認を始めた。
 医師でない熊谷は、情報確認と同時に、胆管がんという病気についても調べなければならなかった。すると、B型肝炎やC型肝炎などを発症した後に発症することの多い成人病で、50歳未満での発症は極めて稀だということがわかった。
 やがて、片岡と熊谷の調べで、印刷現場で使われる洗浄剤に問題がありそうだ、という可能性が浮上してきた。
 私が最初に「印刷会社の従業員と元従業員の間で胆管がんが頻発している」という情報に接したのは、昨年の暮れのことだった。片岡が、「ちょっと変な話がある」と言って教えてくれたのだ。
「そんなことが、この今の日本であるんですかねぇ?」
 話を聞いても、私はにわかには信じられなかった。
「あんた、中小企業を知らんやろ。そういうことはあると思って調べなあかんよ」
 片岡は、あまり乗り気ではない私の姿勢を見透かしているようだった。
 実際、私はすぐには取材をしなかった。しかし、何となく気になってはいた。結局、「あの話をもう一度聞かせてください」と片岡に電話を入れたのは、年が変わった今年2月のことだった。

■「会社で何人も死ぬ人が出ている、怖い」と漏らした息子

 片岡は、元従業員の遺族を一人、紹介してくれた。岡田俊子。息子の浩を胆管がんで亡くしていた。
 岡田は浩の遺影の前で話してくれたが、「印刷会社で使われているものが原因で息子さんは亡くなったらしい」と聞かされてもまだ半信半疑だった。しかし、生前の息子のことを思い出しながら、こうも語った。
「浩は『会社で何人も肝臓を悪くして死ぬ人が出ている。怖い』と漏らしたことがあります。それは覚えているんです。それで急に会社を辞めてね、しばらくして、顔が真っ黄色になって……。それからは(病勢の進むのが)速かったです」
「息子さんは、洗浄剤とか、原因などについては話していなかったんですか?」
「いやぁ、何も」
 岡田俊子の家は1LDKの集合住宅だ。そこに浩と一緒に住んでいたという。
 部屋は浩の荷物であふれていた。その多くは漫画本だった。「漫画はどうするんですか?」と問うと、「処分したい」と言う。
 私はその整理を手伝って、漫画本を業者に引き取ってもらうことにした。かなりの量で、業者から岡田俊子にいくばくかの支払いがありそうだった。
 その数日後、片岡から電話が入った。
「あんた、岡田さんの家で、浩さんの漫画の処分を手伝ったらしいね。しかし、肝心なところが抜けていたな。引き取った漫画を業者が整理していたら、(印刷会社の)当時の従業員の名簿が出てきたらしいよ。岡田さんのところに返したそうだけど」
 私はすぐに岡田俊子の家に走った。名簿を借りると、さっそく元従業員たちの家を回り始めた。
 ところが、待っていたのは何とも奇妙な体験だった。被害の状況を聞かせてほしいと考えて元従業員たちの家を訪ね、ドアベルを鳴らしていったのだが、予想以上に強固な拒否に出遭ったのだ。罵声を浴びせてくる人もいた。
「帰れ! どうやってこの家を調べ上げた。 辞めた会社のこととは言え、悪口を言わせようとするような奴は屑だ!」
 実は、こう怒鳴りつけてきた元従業員については、「劇症肝炎で死の淵をさまよった」という情報を得ていた。元従業員の中でも特にひどい被害を受けた人ではないかと考えて訪ねたのだが、予想外に厳しい対応だった。「ひょっとして、会社から手が回っているのではないか」とも思った。しかし、断られても、名簿にある住所を尋ね歩くしかなかった。

■なぜ遺族は「会社によくしてもらった」と言うのか

 柳楽正太郎が死亡した翌年に亡くなった従業員がいた。仮に名前を藤井一郎とする。
 藤井一郎の実家を訪ねて来意を告げると、母親が古い公団住宅のドアから半身を出し、
「何を言っているんですか? 息子は会社によくしてもらいましたよ。会社のせいで死んだなんて、そんなことはありませんよ。葬式には社長さんも来てくれましたし」
 と言った。
 嘘を言っている風ではない。マスコミが訪ねてきて戸惑っていることは窺えたが、本当に会社に感謝している様子だった。いろいろ説明したが、「洗浄剤? あなたは何を言っているんですか? まったくの誤解ですよ」と迷惑そうな答えが返ってくるだけ。こうなれば、引き下がるしかない。
 ふと、片岡の言葉が思い出された。
「あんた、中小企業を知らんやろ」
 片岡の言う通りかもしれない。これが日本の中小企業の風土なのだろう、と感じた。
 中小企業では大企業とは異なり、従業員同士の付き合いや、社長と従業員との付き合いも、親密で家族に近いものになる。社長は「親父」であり、従業員は社長に直接こっぴどく叱られ、ときには罵倒されることもあるかもしれない。
 しかし、その中で、ある種の「一体感」が生まれる。社員が死亡して葬式を出せば、中小企業なら社長が顔を出してくれる。弔問金に心付けが上乗せされることもあるだろう。
 当然、遺族は「会社に問題があった」とは考えない。それどころか、「会社にはよくしてもらった」という思いを強く持ち続ける。
 この取材は苦戦しそうだ――。私は長期戦の覚悟を決めた。

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