読み物スクープした記者が明かす 恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか

▼バックナンバー 一覧 2012 年 12 月 6 日 立岩 陽一郎

■規制されてないけど、吸ったら危険な物質ですよ

 問題と見られる洗浄剤を作っているメーカーは、愛知県にあった。取材交渉は難航するかと思いきや、二、三度の電話のやり取りで「取材に応じてもいいですよ」という答えが返ってきた。私はさっそくそのメーカーを訪ねた。
 質問に答えてくれたのは、工場長という肩書の年配の男性だった。彼は次のように説明してくれた。
「(問題となった)洗浄剤に含まれているのは、『ジクロロメタン』と『1,2-ジクロロプロパン』。どちらも塩素系の化学物質です。
 このうち、ジクロロメタンは有機溶剤中毒防止規則で規制されており、取り扱いに規則があります。まず、取り扱う際は防毒マスクの着用が義務づけられています。また、利用者は特別な健康診断を半年に一度受ける必要があります。一方、1,2-ジクロロプロパンに規制はありません」
 マスク着用を義務づけられるほど毒性のある化学物質を使っていることを、印刷会社はわかっていたのだろうか。従業員たちはマスクなど着けていなかった。そして、規制されていないもう一つの化学物質。本当に規制の必要はないのか――。私の疑問はつのるばかりだった。
 工場の中を見せてほしいと頼むと、工場長は困った顔をしたが、会社の名称を一切表に出さないことを条件に、製造ラインに案内してくれた。
 製造ラインでは、ジクロロメタンを主な成分とする洗浄剤が作られていた。ペットボトル大の容器が横一列に動いていく。詰め込み場に来ると、管が容器の口の部分に密着して、シューという音を立てる。化学物質が液体の状態で詰め込まれる瞬間だ。
 ジクロロメタンを容器に詰める管の直ぐ真横に、排気口が設けられている。工場長はこう説明した。
「あれで『局所排気』をやっているんです。だから臭いがしないでしょ。それが大事なんです。臭いがするということは、有毒な物質が充満しているということですから。排気装置の設置も、ジクロロメタンを扱う上での規則で義務づけられていますよ」
 この日は、1,2-ジクロロプロパンを使った洗浄剤の製造は見られなかった。私は工場長に疑問をぶつけてみた。
「ジクロロメタンは規制されていて、1,2-ジクロロプロパンは規制されていないわけですよね。この二つの物質の危険性に差はあるんでしょうか?」
 工場長の答えは明快だった。
「私たち製造現場の人間の立場からすると、両者には何の違いもありません。どちらも吸ったら危険ですよ」
 驚いている私に向かって、工場長はさらに続けた。
「規制のないものを使うのは当然じゃないですか。規制がかかっているものを使うには、その対処に費用がかかる。たとえば、あの局所排気装置をつけたりしなければならないわけです。だから、その費用と手間が要らない、規制のないものを使うわけです。
でもね、規制がかかっていないから安全という訳ではないんですよ。だから、製造現場の立場から言わせてもらうと、危険なものを使ってもいいようなやり方はやめてほしい。使わせないという規則にすれば、皆、それに従うんだから」

 

■夜9時のトップニュースで初めて報道

 今回のような取材をメディア用語では「調査報道」と呼ぶが、この調査報道は、メディアにとって大きなリスクを伴う。問題とされた組織や個人が、事実無根だとして損害賠償を求めてくるかもしれない。メディアの人間にとって、及び腰にならないと言ったら嘘になるだろう。
 そのため、取材を続けても、どこで報じればいいのか“出しどころ”がなかなか見つからなかった。その状況を知った片岡が悲しそうな顔で、「あんたには無理かもしれんな」と呟いたことがある。痛烈な皮肉でもあったが、私は「とにかく取材を続けるしかない」と考えた。
 ただし、孤軍奮闘がずっと続いたわけではない。この問題の重要性に気づいたプロデューサーやディレクターが取材に加わってくれた。後に「クローズアップ現代」(2012年9月26日放送)を制作するメンバーだ。
 そして4月に入ると、夜9時のニュース番組、「ニュースウォッチ9」の編集責任者から電話が入った。
「胆管がんのこと、聞いたよ。大変な話じゃないか。俺が責任持つからウチでやろう」
 この一言で、放送が決まった。
 そして5月17日の午後9時、トップニュースとして「同じ印刷会社で働いていた従業員たちが連続して胆管がんで死亡」が初めて伝えられた。しかし、この時点では、公的な機関にまだ表だった対応の動きはなかった。
 こうした場合、表現は慎重な上にも慎重にならざるを得ない。訴訟のリスクがあるからだ。スタジオで解説した私は、「何が原因なのか?」というキャスターの質問に、「その点はまだ何もわかっていないんです」と答えるしかなかった。
 こうした報道をした後で気になるのは、他のメディアの対応だ。経験から言って、調査報道は他のメディアから黙殺されることが珍しくない。追いかけるところはあるのだろうか?
 翌日。私の心配をよそに、新聞各社が報じ始めた。
 その結果だろう。厚生労働省も動いた。SANYO-CYPへの立ち入り調査が始まったのだ。厚労省化学物質対策課と、同省から委託された独立行政法人「労働安全衛生総合研究所」が、原因の特定に動き出した。

■アメリカでは25年前に「発がん性あり」とされていた

  7月10日、厚労省は記者会見を開き、立ち入り調査や、関係者からの聴き取り調査で判明した内容を発表した。「洗浄剤に含まれていたジクロロメタンと1,2-ジクロロプロパンが胆管がんの原因となった可能性が高いものの、引き続き調査を続ける必要がある」という趣旨だった。
 ジクロロメタンは前述の通り、有機溶剤中毒防止規則で規制されている有害物質だ。使用には厳しい条件が課せられる。会社は厚労省の聴き取りに対して、この物質の使用を否定した。一方、1,2-ジクロロプロパンについては取引記録を示し、長期間にわたって使用していたことを認めたという。
 我々の取材結果とは異なる内容だったが、会社が1,2-ジクロロプロパンの使用のみを認めるというのは、予想されたことだった。
 有機溶剤中毒防止規則で規制されたジクロロメタンが胆管がんの原因だった場合、会社は明確な形で法令違反に問われる。しかし、1,2-ジクロロプロパンが原因だった場合は、規制されていない物質なので、会社が法令違反に問われる可能性が低くなるからだ。
 我々はさらに取材を進めた。本田真吾ら従業員の話から、どの洗浄剤をどの時期に使っていた調べた結果、ほぼ100%、1,2-ジクロロプロパンで作られた洗浄剤のみが使われている時期があることがわかった。そして、その時期にしか働いていない従業員からも、胆管がんの発症が見つかった。
 規制されていない化学物質ががんを発症させたとすれば、単に大阪の一中小企業の倫理観の問題ではなくなる。我々は1,2-ジクロロプロパンについて、海外の事例も調べていった。
 まず、1,2-ジクロロプロパンは、アメリカで農薬として広く使われ始めたという。「DD」という名称で、1970年代に急激に普及している。
 しかし80年代に入ると、アメリカの農村地帯で有毒性が疑われ始める。DDが多く使われていた地域で、相次いでがんを発症する子供たちが見つかったといった報告が次々と寄せられた。農薬として大量に散布された1,2-ジクロロプロパンが地下水に染み込み、それが飲料水となって人々の口に入り、健康を害したのではないか――。そんな疑いが指摘され始めたのだ。
 こうした事態を受けて、アメリカ政府が動き出す。86年、有害物質の検査を行う政府の研究機関NTPが、マウスとラットを使った動物実験の結果を公表した。
 それによると、1,2-ジクロロプロパンを与えたマウスには、オスとメスの両方にがんが見つかった。ラットでは、メスに一定程度の発がん性が認められ、オスには発がん性が認められないとされた。
 後に、この結果をどう見るかは専門家の間でも議論が分かれるところになるのだが、翌87年、EPA(環境保護庁。日本の環境省に当たる)は、暫定的な措置としながら、1,2-ジクロロプロパンを「B2」(人間への発がん性の恐れがある)に分類する。
 その結果、主要な生産者だったアメリカの大手化学薬品メーカー「ダウ・ケミカル」は、国内における1,2-ジクロロプロパンの製造を中止した。こうして80年代のアメリカでは、1,2-ジクロロプロパンの使用が急激に減っていった。

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