読み物特捜検察・負の歴史
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特捜検察の腐敗の歴史は、戦前の陸軍が辿った道と似ています。関東軍が最初に暴走したのは、1931年の満州事変でした。満州事変は、中央の統制を無視して、石原莞爾らが独断専行したものです。しかし、石原は罰せられず、それどころか参謀本部の作戦部長に昇進する。
37年の日中戦争(支那事変)では、現地参謀だった武藤章が内蒙古を支配下に置こうとする謀略を企てます。参謀本部は戦線拡大に反対で、作戦部長の石原は武藤をいさめようとする。中央の統制に服するよう、説得に出かけるのですが、武藤は「石原閣下の満州事変を見て感銘を受けた。閣下が当時にされた行動と同じことをしようとしている」と言い放ったのです。
その武藤もまた陸軍省軍務局長になるのですが、その時、参謀本部の作戦部長たちが対米戦争に踏み切ろうとした。武藤が止めても、部長たちは言うことをきかない。そしてついに、あの戦争に突入してしまった。
いったんハードルを下げると、部下たちがそれを真似て、また下がるという典型例でしょう。こうした負のスパイラルで、特捜検察の劣化も進んでいったのです。
「特捜神話」を確立したロッキード事件も、捜査の内実をよく見ると、かなりお粗末なものでした。
検察のストーリーによれば、田中角栄元首相は全日空のトライスター機導入をめぐって丸紅側から請託を受け、その成功報酬として5億円を受け取ったことになっている。
それが本当なら、全日空がトライスター導入を決定した直後に丸紅は田中元首相に5億円を支払っていなければならない。ところが、導入決定から約8カ月もたった73年6月頃、田中元首相の秘書官から丸紅の前専務に「例のものはどうなっているのか」と電話があった。それで丸紅はロッキード社に5億円の支払いを要請し、8月10日から翌74年3月にかけて、4回に分け、元首相の秘書官に計5億円を渡したことになっている。
しかし、これはあまりに不自然なストーリーです。総合商社の丸紅なら、5億円のカネを用意するのは難しくないのに、催促されるまで、時の首相との約束を10カ月も履行しないなんてことがあり得るのか。
しかも、3回目までの現金受け渡しはホテルオークラの駐車場など、わざわざ人目につきやすい場所で行われている。最初から丸紅前専務のマンションでやれば済むことです。つまり、事件の構図がおかしい。
実際、検察が主張した現金授受の場所や日時が矛盾だらけだったことが後の裁判での弁護側立証で明らかになります。元首相の秘書官が使っていた公用車の運行記録からは、受け渡し場所にどうしてもたどり着けないからです。
丸紅側から元首相側への5億円のカネの流れは実際にあったのでしょうが、現金授受の目的や日時・場所は検察のデッチ上げだった疑いが濃い。
そうした捜査の内実を知っている一線検事たちが、特捜部の幹部になった時、「ロッキードのような捜査がまかり通るなら、この程度は許容範囲だろう」と、立件のハードルを少し下げる。それを見ていた部下たちが真似て、またハードルを下げる。捜査もズサンになる。この繰り返しが、今日の特捜検察の劣化を招いたのだと私は思います。