読み物クサヤ屋さん 環境活動家になる
「うちの家のそばにゴミの処分場が出来るんだよ、それ自体はね、まあ、しょうがないけど。それが水源より高い位置にだよ。こんな、時代に逆行することがあっていいの?」
私の八丈島のゴミ処分場問題とのかかわりは、丹下遊(三五)のこの言葉から始まった。二〇〇八年の九月のことである。八丈島・末吉に住む写真家の友人亀山亮(三四)に久しぶりに電話をしたとき、彼のパートナーの丹下からこう聞かされたのである。
翌年の四月、私は初めて八丈島に渡り、処分場の予定地を訪ねた。東京のJR浜松町駅に近い竹芝埠頭から東海汽船に乗ると、夜一〇時ごろ東京を出た船は翌朝の九時半ごろ八丈島に到着する。外海に出て波が高くなったころ眠れば、目が覚める頃に八丈島に着ける。
八丈島の底土港には亀山が迎えに来てくれていた。彼の運転する軽トラックで現場に向かう。山道にかかるとローギアーを使ってひたすら登る。曲がりくねった山道を行き、うなるようなエンジン音に処分場の海抜を感じた。窓の外には灌木の原生林が生い茂る。処分場につく前、一瞬だけ原生林が開けて海が見えた。
海面が見えると四〇〇メートルも登ってきたことを実感した。途中見かけた末吉の灯台が、はるか先に小さく見える。
車を降り、都道から処分場に入ると、大きなスダジイの樹が目についた。樹齢は三〇〇年以上あるのだろうか、その大きい樹が、島の歴史を無言で語りかけて
いるように思えた。そのスダジイのうっそうとした樹の脇に細い道がある。そこを歩くと、ところどころにオオシマザクラの花びらが散っていた。ソメイヨシノと違い、ずいぶんと樹の背が高く花も高いところに咲いている。
舗装もされていない細い道を一〇分ほど歩くと処分場の建設予定地についた。
たくさんの鳥のさえずりが聞こえる。野鳥に疎い私は、ウグイスの鳴き声を聞き分けるのがやっとだった。きれいな風景を前に「許可なく立ち入りを禁止します」と書かれた施工主の看板が異物として立っていた。
丹下と亀山は東京の煩わしい混雑が嫌で、二〇〇七年の年末に丹下の実家があ
る八丈島に移住した。その矢先、環境問題とは関りの薄かった二人にこの問題が降りかかってきた。「わずか一七年しかもたない処分場が、なぜ水源よりも高い位置にできる?」――処分場の建設に疑問をもった八丈島の若者を中心に、処分場凍結を求める「水海山の緑と水を守る会」が作られた。