読み物特捜検察・負の歴史

▼バックナンバー 一覧 2010 年 10 月 27 日 魚住 昭

 

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 検察権力が暴走するウラには、「検察庁の影響力を高めたい」という組織的な本能もあります。
 リクルート事件以降、特捜部は毎年のように政治家を摘発してきました。90年の稲村利幸元環境庁長官、92年の阿部文男元北海道・沖縄開発庁長官、93年の金丸信自民党前総裁、94年の中村喜四郎前建設相、95年の山口敏夫元労相……。
 それ以前がおよそ10年に1~2人だったのと比べると、異様なペースです。98年に摘発された新井将敬衆院議員は自殺、中島洋次郎衆院議員も後に自ら命を絶ちましたが、検察の政治家摘発は止むことはなく、00年には山本譲司衆院議員と中尾栄一元建設相、01年は村上正邦元労相ら、02年に鈴木宗男元官房副長官、03年に坂井隆憲衆院議員、04年に村岡兼造元官房長官……と続きます。
 面白いのは、それと同時に、90年代から検察OBが政府機関の要職を占めるようになっていくことです。例えば証券取引等監視委員会の委員長や預金保険機構の理事長、公正取引委員会の委員長など。98年に新設された金融監督庁の初代長官に就いたのも検察OBでした。これらのポストは、かつては大蔵省(現財務省)OBの指定席だった。つまり、検察は組織的な利権を次々と獲得し、大蔵省より優位に立つことに成功したのです。
 また、特捜部が大きな事件を扱って注目を集めるほど、「ヤメ検ビジネス」が栄えるという側面も見逃せません。企業は高額の報酬で検察OBを顧問として迎え入れるようになる。テレビのコメンテーターなどの仕事も増え、再就職先に困ることはありません。
 特捜事件の被疑者も、弁護を検察OBに依頼することが多い。検察への影響力を期待するからです。ところが実際には、ヤメ検弁護士は依頼人の無罪を勝ち取ろうとしてくれるとは限りません。「認めちゃった方がいい。執行猶予もつく」などと言って容疑を認めさせ、裁判を早期決着させる傾向が強い。むしろ、検察側にとって都合がいいように動くのです。これで数千万円という高額の弁護報酬を得るのなら、笑いが止まらないでしょう。
 つまり、特捜部と検察OBは共存共栄の関係にある。政界汚職でも経済事件でも、特捜部が大きな事件をやればやるほどOBは潤う。ひいては現役検事の将来も安泰になるというサイクルが出来上がっています。この流れの延長線上に小沢事件があるのです。

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