読み物黄金の国の少年たち

▼バックナンバー 一覧 2010 年 12 月 15 日 大瀬 二郎

空飛ぶ狐

「ドン、ドン、ドン、ドン!」
 夜中の乱暴な物音に目を覚ます。発電機はすでに止められていたので、懐中 電灯を手に持ってドアを開けると、べろべろに酔っ払ったロシア人2人が互いを支え合って立っている。「酒はないか」とぶっきらぼうな調子で尋ねてくる。「 そんなものはない、今何時かわかってるのか」と呆れて真夜中の訪問者を追い返した後、またベッドにもぐりこむ。
 
 またウトウトと眠り始めると、「ドスン!」とすさまじい音に再び起こされる。まさかジャングルに隠れていた武装グループが攻撃を開始したのかと耳を澄ましながら天井を眺める。するとまた「ドスン!」と天井のトタン板が揺れる。あわてて外に駆け出して空を見上げると、何かが「ワサッ! ワサッ!」と羽ばたきし、部屋のちょうど真上に寄り掛かっているマンゴーの大木の枝を行き来しているのが月光に照らされてぼんやりと見える。地面にはかじりさしのマンゴーが散らばっている。
 
 夜食をしているのはオオコウモリ、「空飛ぶ狐」とも呼ばれる、世界で最大の空飛ぶ哺乳類だ。近年このオオコウモリがエボラ出血熱の病原体のキャリアー(宿主)である可能性が高いと発表されていた。エボラ出血熱は、急性ウイルス性感染症で、死亡率は88パーセント。まだ治療法は見つかっておらず、ここ数年間コンゴを含む中央アフリカの諸国でたびたび発生している。エボラに類似したマールブルグ出血熱の病原体もこのコウモリから発見され、地元の人々はこのオオコウモリを食べたことによって感染したとみられている。今のところ、奥地の隔離された小さな村落で発生し、死亡率が高く患者は短期間で死亡するために大規模な流行の恐れは少ないとのこと。子犬に羽根を生やしたような空飛ぶ哺乳類が一晩中マンゴーを貪りながらトタンの屋根にマンゴーのじゅうたん爆撃を続けたため、その夜、眠ることはできなかった。
 
 2005年の7月にコンゴ民主共和国の東部に位置するブニャを取材のために訪れていた。宿泊していたカトリック教会のホステルは熱いシャワーはないが街にあるホテルより清潔で朝飯付一泊20ドルとお得だ。年老いたイタリア人のシスター(修道女)2人が切り盛りしている。彼女たちが20代の時にバチカンから派遣されて30年以上の月日が流れた。いつも陽気でよく鼻歌を歌っている彼女たちはコンゴの波乱をいろいろと目撃してきたのだろう。
 
 翌朝、睡眠不足で血走った目をこすりながら国連PKOの基地に向かうと、昨夜叩き起こされたロシア人の2人組がフライトスーツを着て歩いている姿を見かける。国連に雇われたパイロットの彼らの酒はまだ抜けていないだろう。幸いにして私は別のロシア人が操縦するヘリに乗り込むが、彼らとて二日酔いでないとの保証はない。
 
 離陸してからわずか30分でヘリが緑の高台に降下し始める。ヘリの回転翼が巻き上げた強風でエレファント・グラスと呼ばれる背丈の高い草がお辞儀を繰り返すかのように波打っている様子が丸い窓からみえる。もう少し眼を凝らしてみると草の合間に空色の点々が見える。ヘリの着陸を警備している国連平和維持軍兵士の青いヘルメットだ。「サンキュー・フォー・フライイング・ウィザス」と、まるで民間機と同様にロシア人のパイロットはアクセントの強い英語で到着をアナウンスした。コンゴでの国連の飛行機やヘリのほとんどは、ソ連崩壊後に仕事にあぶれたロシア、ウクライナ軍の元パイロットによって操縦され
ていた。
 
 青々とした森林や草原を空から眺めていても見当がつかないが、コンゴ東北部はアフリカで指折りの金鉱地帯だ。その中心地が着陸したばかりのモンゴワル村。金鉱を巡って血で血を洗う縄張り争いが繰り返されてきたところだ。ここ1、2ヶ月状況が安定しているから、と国連からヘリの搭乗許可が下りた。
 
 ヘリが飛び去った後、ニコニコと笑顔を絶やさないパキスタン人の平和維持軍兵士が兵員輸送車に案内してくれ、大口径の機銃弾によって十円玉ぐらいに大きくえぐれた穴を自慢するかのように指差す。武装グループとの戦闘中、親指大の銃弾が直撃した時にこの鉄の箱の中に缶詰になっていた兵隊たちは鼓膜を破ったんじゃないかと考えながら写真を撮る。
 
 しばらくすると横に老人が立ってじっと自分を見つめているのに気がつく。「私はここの移民局のものだ」と、背丈の低い、干からびたような老人が私の手首を予想外に強い握力でギューッと握り、もう一方の手で高原に横たわっている錆だらけのコンテナを指差した。まさかここでもか、と唖然としてしまった。国連のヘリで来たので無視してもかまわないと思ったが、お年寄りなので気の毒に思い同行する。
 
 コンテナの屋内にはシロアリに蝕まれて今にも崩れ落ちそうな机と椅子だけがポツンと置かれていた。これが彼の詰め所らしい。老人はぶっきらぼうに、一枚一枚私のパスポートのページをめくっていく。私はついにしびれをきらして、ポケットからよれよれの500コンゴフランク札を五枚(5ドルほど)を出して、ビジネスを終了させる。今夜彼はマニヨックの芋のおかずに鶏でも食べるのか、それともマラリアの薬を買うのかなと想像した。
 
 コンゴでは、この500フランクが最高価の紙幣。よれよれで、所々をセロテープで補修されているものがほとんどで、汗、かつお節、そして鉛筆の芯を混ぜ合わせたような独特の匂いがする。触るたびに病気にでも罹りそうな気分にさせられる紙幣の厚い束は財布には入りきらず、いつもポケットに入れて持ち歩いていた。高額の支払いは米ドルで行なわれるが、コンゴフランクとは正反対で20ドル札以上になると少しでも古びた感じのものは使えない。100ドル札を渡すと1分ほどジロジロと眺めてからでないと受け取ろうとはせず1ミリほど欠けているだけでも拒否される。
 
  今回はブニャで通訳として雇った大学生のエマニュエルを同伴しての取材。ほとんど笑顔を見せることのない、まじめな青年だ。紛争のために大学は閉鎖され、ジャーナリストやNGO相手の通訳兼助手のバイトをして家族を養っていた。モンゴワル村に到着後、彼が前日電話で手配したバイクタクシーの姿はどこにも見当たらない。エマニュエルが再度電話をすると相手はすっかり忘れていたようだ。すぐ来るとの返事だったが、結局一時間ボーッとエレファントグラスが風に揺れるのを眺めていた。
 

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