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▼バックナンバー 一覧 2010 年 10 月 27 日 松林 要樹

一、クサヤ屋のオヤジ起つ

 
 島でクサヤ屋(長田商店)を営む長田隆弘は、水海山に処分場をつくってほしくないとの思いで「水海山の緑と水を守る会」の事務局長をやっている。処分場の問題が持ち上がってからは、本業のクサヤ屋よりもこの会の活動が忙しくなった。会には約二五人が参加し、定期的にチラシを配り、水質検査を行っている。着工後の今も、工事の白紙撤回を求め続けている。
 長田は一九六二年、八丈島の末吉で生まれた。彼が生まれた末吉は、この処分場が作られている旧水海山集落跡に近い。ふだん彼は両親、妻、次女、次男と六
人で八丈島の三根(坂下)に住んでいる。真夏の繁忙期には、一番下の小学生の次男も仕事を手伝い、家族一丸となって働く。
 そのほかに東京にも扶養家族が四人いるので、彼には十人の扶養家族がいる。長田家の大黒柱だ。仕事と活動の二本立てで忙しい。人よりも苦労が多いだろう
と思うが、黒々とした髪とつやのある肌のため、年齢よりもいくぶんと若く見える。
 どういう思いで彼が活動をはじめたのか、クサヤの加工場で仕事の合間を見計らって話を聞いてみた。
 「万が一、水質汚染などの事故が起きた場合、施工主である東京都島嶼町村一
部事務組合(一部事務組合)が責任をとるというけど、それはできないと思う。…自分は、島の豊かな自然を次の世代にきちんと残したいんです」
 長田の運動への動機は、彼の生活と職業に密接している。
 二〇〇八年三月、町議会定例会で町は処分場のために町有地であった水海山の
土地を売った。はじめ長田は「位置が高いけれども、仕方がないな」と思っていた。いずれ島のどこかに処分場をつくらなければならないと思っていたからだ。
 長田の家では春トビウオの季節が一年のうちで最も忙しい。その期間に春トビウオのクサヤの一年間の生産のほとんどを行うのだ。クサヤの干物は、ただ液に漬けて乾燥させればできるものではない。クサヤの製造は意外にも水をたくさん使う。魚の血抜きのために、クサヤ液に漬ける前の工程で三回以上水に漬ける。クサヤ液に漬けた後も、その液を洗うのに大量の水を使う。八丈島のクサヤは、新島産と比べてマイルドな味だと言われている。水に恵まれた八丈は、ふんだんな水を製造過程で使うことができるからだそうだ。豊かな水を利用している長田商店のクサヤづくりにとって、一たび水が汚染されたら取り返しがつかない。
 処分場に関心を持ったのは、二〇〇八年の春先、水が冷たい時期に旬の春トビウオのクサヤを自宅の加工場でつくっていたときだった。処分場が決まったとの知らせを受けた。黒潮にもまれて大きく育ったトビウオを切りながら、長田が母親のリキ(七三)に水海山に決定したと話した。リキは「なんで水海山につくるのけ…」と大きなため息をついた。そこはかつてリキの姉も住んでいたところだ。長田はその母親の表情が、この処分場に対して疑問を持つきっかけだったと振り返る。

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