読み物サブサハラの春はまだ

▼バックナンバー 一覧 2012 年 2 月 15 日 大瀬 二郎

ショーダウン

2006年10月29日、大統領選の一騎打ちが行なわれる2日前、ベンバがキンシャサの私邸で記者会見をする。War Lord のベンバが、平和のシンボルの白鳩の抽象画の下に座り、「カビラは大統領の地位と政府の資材を乱用し、この選挙は平等なものではない」と訴えた。両候補者は、前回の選挙からほぼ3ヶ月間キンシャサを離れず、選挙活動をほとんど行なっていなかった。選挙法ではテレビでの生中継による討論会を義務づけている。ベンバはアメリカ大統領選式の一対一の討論を要求するが、カビラは能弁なベンバにリンガラ語で挑みかかられ、討論で負かされることを恐れて、両者別々に録画した記者会見を放映することを要求し、結局、両者が折り合うことなく、キャンセルされる。

ベンバは記者会見後、カビラの護衛軍によって破壊され、黒焦げになった彼のヘリコプターの残骸を芝居っ気たっぷりに一周し、ジャーナリストに写真を取らせる。決選投票の前日、野外で生ぬるいビールを飲みながらの夕食に同席していたカメラマンから少し気になる話を聞く。知り合いのイタリア人の報道写真家が群集に襲われ、カメラを奪い取られ、塀をよじ登って脱出、命拾いをしたとのこと。その話を聞いて、以前取材したハイチやイラクのことを思い出し、ごくりと唾を飲み込む。

2004年春、カリブ海に浮かぶ小さな島国ハイチで反政府暴動の取材をしていた。ハイチは1804年、アフリカ人奴隷の反乱後に、近代史上初の黒人が統治する共和国となるが、独立後の200年間、反乱と暴力が繰り返される波乱の歴史を辿ってきた。その年の2月、元警察本部長のギ・フィリップ率いる反乱軍が、ハイチの主要都市を次々と占領し、首都のポルトープランスに近づきつつあった。今までハイチでは、国際ジャーナリストは中立的な目撃者であると認知され、死亡者は一人として出ていなかった。だが大統領のジャン・ベトランド・アリスティドは、「この反乱はアメリカ、フランスが仕組んだクーデターだ。民主的に選出された自分を追い出すための企みである。国際メディア・ジャーナリストもその陰謀に加わっている」とラジオで国民に呼びかける。このラジオ放送が流れた後に車でアリスティドの支持者が多い地区を走ると、住民から射撃され、ハイチで初めてジャーナリストが危険な状態にさらされるという現実に直面した。アリスティド派を支持する「シメール(クリオール語で「怪物」の意)」と呼ばれるギャング団が路上バリケードを作り、通過しようとすると、「弾丸を買うための金を渡せ」と、麻薬中毒で血走った目で脅迫する。

アリスティド大統領が、アメリカが送り込んだ飛行機で中央アフリカ共和国に脱出したニュースが流れ始めると、ポルトープランスは混乱状態に陥る。国際ジャーナリストは一転して標的となり、銃声が町中に響き渡る間、ホテルの廊下に防弾チョッキをきて横たわっていた。反乱軍がポルトープランスに進軍したことで暴動は収まったが、取材を終えてハイチを発った翌日、アメリカテレビ局のカメラマンが何者かによってデモ中に射殺され、ハイチの歴史上、初めての国際ジャーナリストの犠牲者となる。近年、世界中の紛争地や戦場で、中立的な目撃者として活動の自由、身体の安全をあるレベルまで保証されてきたジャーナリストの境遇が急激に変わりつつある。冷戦後、世界各地で戦線があやふやな紛争やテロが勃発する中、ジャーナリストを守っていたバリアのようなものが消失し、暴力や略奪の標的となり始めた。ゲームのルールが変わり、危険な仕事が、よりいっそう危険になったわけだ。

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