読み物サブサハラの春はまだ

▼バックナンバー 一覧 2012 年 2 月 15 日 大瀬 二郎

コンゴのマンデラとウォー・ロード

大統領・総選挙の1週間前、選挙の参加を拒否されたエティエン・ティセケディが率いる民主社会進歩連合(UDPS)の支持者が、キンシャサ都心と空港を結ぶ大通りでデモを行なうという情報が入ってきた。ティセケディは、コンゴ独立以降、首相に3回任命されたベテランの政治家。キンシャサの大学で法律を学んだ後、モブツとカビラ(父)両大統領の汚職と独裁体制を批判しために、両者に数回投獄され、コンゴのマンデラとも呼ばれていた。1982年にUDPSを設立したティセケディは、主に武装グループのドンによって構成された暫定政府を批判し、2005年に行われるはずの選挙をボイコットする態度を表明してきた。だが選挙が2006年に延期されることが発表されると、今までの姿勢を変えて選挙への出馬を発表する。しかし登録は手遅れだと、独立選挙委員会がUDPSの参加を拒否し、UDPSの支持者を中心に、数々の反選挙・反暫定政府のデモがキンシャサで繰り返されていた。

都心と空港のちょうど中間に位置するスラム街に到着すると、予想外に少ない200人ほどのデモ参加者が、プラカードを掲げて歩き回っている。しばらくして、グループがキンシャサに向かって行進し始めると、運転手のピエールに、大通りと平行する道を走って、常に近くにいるように指示する。ごたごたが始まった時の脱出プランだ。デモがキンシャサに近づくにつれ、道路の両側に広がるスラムの路地から湧き出る人々が合流し、あっという間に数千人の規模に膨れ上がる。

コンゴの失業率は80%以上。貧困、飢餓、そして疫病から逃れるために、隔離されたジャングル奥地の村落を後にして、毎日数千万人が首都キンシャサに流れ込んでいる。そのほとんどは若者達。しかし、いざ辿り着いたものの、彼らを待ち受けているのはスラムでのみじめな生活。日陰にしゃがみ込み、立腹と空腹を抱えている若者達の感情は、ニトログリセリンのように不安定。デモなどで、わずかに揺さぶられることによって爆発する。

デモがキンシャサの中心街に近づくにつれ、目の血走った若者達が、道路沿いに貼ってある選挙ポスターや看板を、候補者を問わず引き剥がし、火を放ちはじめる。黒い煙があちらこちらに立ち上がり、穏やかに始まったデモが、あっという間にエスカレートする。安全確保のために、同行していたジャーナリストと、離れ離れにならないように注意しながらデモに張りついていく。都心への入り口でデモを待ち構えていた機動隊は、EUから提供された、まっさらでピカピカのヘルメット、防具、盾や催涙ガス砲を装着している。群集は機動隊と50メートルほどの距離をおいて止まると機動隊を罵り始める。しばらく、にらめっこが続いた後、SF映画にでも出演できそうな姿をした機動隊が、強化プラスチックの盾を太鼓のようにバトンで一斉に叩きながら、横一列に並んで群集に向かって行進し始める。どこからともなく火炎ビンが投げ込まれ、オレンジ色の炎が花のように黒いアスファルトの道路に広がる。それを合図に、機動隊は警棒を振り上げ群集になだれ込んでいく。催涙ガスが打ち込まれ、あたりは霧のかかった早朝のような風景に一変した。機動隊は群集に駆け込み、老若男女関係なく警棒で打ちのめし始める。人々は公園の鳩のようにバァーッと散らばり、迷路のようなスラムの路地に消えていく。

蜘蛛の子のようにスラムに散らされたデモ参加者たちは、しばらくすると、路地や脇道から姿を現し、機動隊に石を投げ始める。こぶしサイズの石やコンクリートの破片が道の両側からどんどん飛んでくる。盾で石から身を守っている機動隊からあわてて距離を広げ、群衆と機動隊のシーソーゲームの様子をしばらくうかがっていると、大統領護衛隊が姿を現した。カビラがしびれを切らしたのだろう。ワインレッドのベレー帽をかぶった彼らは、催涙ガス砲や警棒ではなく、実弾の詰まったAK―47自動小銃と対戦車砲を肩に抱え、いかにも厳つくピックアップ・トラックから飛び降りる。「もうお遊びは終わり」と、雰囲気が一転した。威勢の良かった群集もさすがに実弾を浴びるのを恐れ、ジリジリと後ずさりをし始める。これはとても危険な状態だ。兵士たちはアドレナリンを全身に巡らせ、人差し指をぴくぴくと神経質に引き金に架けている。何がきっかけで撃ち始めるか分からない。他のジャーナリストと一緒に道路脇に後退し、運転手のピエールに電話をかけ、すぐそばにいることを確認する。

物騒な大統領護衛隊に気をとられていたが、振り返ると、いつのまにか道路脇で大勢の人に取り囲まれていることに気付く。デモを解散させられて、気が立った若者たちの怒りが、彼らの血走った視線に感じられる。突然、何者かがポケットに手を押し込み、手帳を引っ張り出して周囲の人ごみに姿を消す。勿論追いかけるようなことはしない(カメラを取られた場合はそうもいかないが)。できるだけ早くここを脱出しなければならないというのは明らかだ。運転手のピエールが待っている場所を携帯電話で確認し、パニックを起こさずゆっくりと車の方向に歩き始める。後ろから肩を叩かれ、ハッと振り返ってみると、そこには老人が立っている。盗まれた私の手帳を取り返してくれたのだ。若者たちの無作法を許してほしいと語る老人から、複雑な気持ちでノートを受け取りお礼を言う。激怒した若者たちの目とは異なり、彼の瞳は優しさと憂いを湛えていた。植民地下のコンゴに生まれ育ち、独立後に繰り返される独裁体制と紛争によって、祖国が頽廃していく様子を目撃しながら、彼は今まで生き延びてきた。60歳は超えているだろう。平均寿命が46歳のコンゴにあっては、彼は真のサバイバー(生存者)であり、コンゴの波乱に満ちた歴史の生き証人だ。取り返してもらった手帳を握りしめながら、選挙が無事に行なわれ、コンゴが正しい方向に歩み出すことを彼が体験することができればいいのにと、願わずにはいられなかった。

投票日の3日前、ジョン・ピエール・ベンバが、最後の選挙活動を本拠地のキンシャサで行なう。催涙ガスの匂いがまだ漂う空港道路を徒歩で行進。さすが彼の本拠地だけのことはあり、沿道には「100パーセントコンゴ人」と書かれたポスターを振りかざす数万人の群衆で溢れた。「カビラは外人。あなたが純粋のコンゴ人!大統領になるべき人だ」。鼓膜を破りそうな叫び声に包まれるなかを、ベンバは夫人と一緒に手を振って10キロの道のりを歩いてゆく。その様子を路面の凸凹に躓きつつ、後ずさりして写真を撮った。写真の送信の締め切り時間に間に合わせるために、5キロほどベンバと歩き、現場を離れ車に乗り込むが、人ごみに囲まれた通りをなかなか前に進めない。「バンバン!」とボンネットや窓を拳で激しく叩く観衆の熱気には、どこか狂気のようなものが感じられる。その直感は当たった。その日ベンバがスタジアムで演説を終えた後、挑発的な演説に陶酔した群衆はコントロールを失う。カビラをひいきしていると、政党や国際NGOの事務所、教会、パトカーなどが略奪、放火され、3名の警察官がリンチされ、彼らの遺体は車で引きずり回された後に火が放たれた。その日、政治的な動機の絡んだ脅迫、暴動、殺害、略奪のニュースが全国から入ってくる。三日後に行われる選挙は、果たしてどうなるのかと不安が渦を巻きはじめた。

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