わき道をゆく

2022.7.15.
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第190回 現代語訳・保古飛呂比 その⑭

安政元年三月 [参考] 一 同十日、(老中首座の)阿部伊勢守殿へ口上を添え、左衛門尉(幕府の勘定奉行と海防掛を兼務する川路聖謨のこと。前年、長崎に来たロシア使節プチャーチンとの交渉にあたった)が直接、上申書を出した。その […]

2022.6.30.
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第189回 現代語訳・保古飛呂比 その⑬

嘉永六年十二月 [参考] 一 同二十四日、藩より次の通りの通達があった。 来年の海防軍配(=軍勢の配置) 一 浦戸(軍事上の要衝である浦戸湾の湾口左岸) 深尾内匠(家老)組 一 種崎(同じく浦戸湾の湾口右岸) 深尾弘人( […]

2022.6.14.
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第188回 現代語訳・保古飛呂比 その⑫

嘉永六年 佐佐木高行 二十四歳 [参考] 一 九月十日、大小の銃を江戸に送った。その届書に曰く。 覚 一 鉄砲 五十三挺 うち六貫目玉(重さ約22キロの弾を放つ大砲) 一挺 ただし台車つき。 一貫目玉(重さ3・75キロの […]

2022.6.2.
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第187回 現代語訳・保古飛呂比 その⑪

嘉永六年八月 一 日本よりアメリカへの返事の手紙になぞらえて、ある人が書いた文章は次の通り。 前文、 この夏、「アメリカ」船が浦賀へ渡来した折、渡された書翰(米大統領親書)を和訳して、諸大名や、その他の主な幕臣たちに(こ […]

2022.5.17.
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第186回 現代語訳・保古飛呂比 その⑩

嘉永六年六月 [参考] 一 同二十日、百々礼三郎以下が江戸詰めを命じられた。 岡崎水筆(前出の岡崎菊右衛門と同一人物で、水筆は雅号と思われる)は次のように記している。 何年か前に来た異国船は一艘につき八百人乗りの舟だった […]