わき道をゆく

2024.10.24.
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第247回 現代語訳・保古飛呂比 その71

(幕府の命で広島に出張した土佐藩家老・福岡宮内(注①)の記録の続き) 一 ご隠居さま(山内容堂)より、(老中の)小笠原壱岐守さま(注②)へお手紙が送られるはず。 【注①。デジタル版 日本人名大辞典+Plusによると、福岡 […]

2024.10.10.
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第246回 現代語訳・保古飛呂比 その70

[参考] 一 (慶応二年)三月晦日(みそか)、太守さまが上京延期を請願した。次の通り。 今夏中、私は京都警衛を仰せつけられ、ありがたく存じます。これにより、大坂表にかねて配置していた軍勢を、(朝廷の)了解を得たうえで、直 […]

2024.9.25.
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第245回 現代語訳・保古飛呂比 その69

[参考] 一 (慶応元年)十月十日、次の通り。  毛利淡路・吉川監物にお尋ねの事柄があるため出坂(大坂に出てくること)するようにと、幕府より安芸守(広島藩主・浅野長訓。注①)に通達がありました。そのことを、毛利・吉川の両 […]

2024.9.11.
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第244回 現代語訳・保古飛呂比 その68

十月 一 この月三日、(土佐藩の)探索役・野崎糺が早追い(注①)で大坂を発ち、同九日、国許に着いた。異国船渡来による上方表(京都・大坂方面)の騒動についての報告。あらましの話は左記の通り。 このたび兵庫へやってきた異国船 […]

2024.8.28.
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第243回 現代語訳・保古飛呂比 その67

[参考] 一 記録抄出に(次の通り)。この十七日、異国船九艘が兵庫港(神戸港)へ来て、大坂表へ行くとのこと。いつ(大坂に)乗り入れるかもわからないと「御名代」(※誰を指すのか不明)まで演説された。昨日、安治川(淀川の最下 […]