わき道をゆく

2023.10.7.
わき道をゆく
第220回 現代語訳・保古飛呂比 その㊹

一 (文久三年)四月五日、初夜(現在の午後八時から九時ごろ)ごろ、(義弟の)本山誠作殿から使いが来て、こう言った。「(誠作の長男の)貫之助が先ほど、小高坂村西町に住む徒士(=かち。土佐藩の下士身分。郷士の下で、足軽の上に […]

2023.9.25.
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第219回 現代語訳・保古飛呂比 その㊸

[参考] 一 (文久三年二月)二十三日、藩において左の通り。 京都の情勢はますます入り組み、かつ外国勢力の動向(夷情)も計りがたいので、(藩としての対応を)考慮中である。なおまた、今後勝手な振る舞いをせず、藩の指示通り進 […]

2023.9.5.
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第218回 現代語訳・保古飛呂比 その㊷

保古飛呂比 巻十 文久三年 文久三年癸亥 (佐佐木高行) 三十四歳 正月 一 この月元日、太守さまが(京都滞在中で)お留守のため、(高知城)三ノ丸に罷り出て、御祝詞帳(祝詞を述べに来た家臣の名前を記す帳面)に姓名を記し、 […]

2023.8.22.
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第217回 現代語訳・保古飛呂比 その㊶

一 (文久二年)十二月六日、太守さまが江戸表を発たれた。勅使警衛(の任務は同年十一月、京都から江戸に)東下された時の通りだとのこと。 [参考] 一 同日、小原氏の随筆にいわく。 「勘定奉行新ニ出来ル」(注①) 大脇興之進 […]

2023.8.8.
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第216回 現代語訳・保古飛呂比 その㊵

一 同(文久二年十一月)二日、谷守部・樋口眞吉が九州より上京[別に樋口の日記あり。参照すべし] [参考]  一 十一月五日、朝廷から容堂侯へのお沙汰は次の通り。 一橋刑部卿(慶喜)・松平春嶽がこのところ所労(=患い、病気 […]