わき道をゆく

2023.8.22.
わき道をゆく
第217回 現代語訳・保古飛呂比 その㊶

一 (文久二年)十二月六日、太守さまが江戸表を発たれた。勅使警衛(の任務は同年十一月、京都から江戸に)東下された時の通りだとのこと。 [参考] 一 同日、小原氏の随筆にいわく。 「勘定奉行新ニ出来ル」(注①) 大脇興之進 […]

2023.8.8.
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第216回 現代語訳・保古飛呂比 その㊵

一 同(文久二年十一月)二日、谷守部・樋口眞吉が九州より上京[別に樋口の日記あり。参照すべし] [参考]  一 十一月五日、朝廷から容堂侯へのお沙汰は次の通り。 一橋刑部卿(慶喜)・松平春嶽がこのところ所労(=患い、病気 […]

2023.7.24.
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第215回 現代語訳・保古飛呂比 その㊴

[参考] 一 左の書面は、現在京都の周旋係をつとめる手島八助・乾作七より(国許の)土佐に送ったものである。 十月二十七日朝、長州藩の桂小五郎(注①)・佐々木男也(注②)が粟田宮さま(朝彦親王。注③)へ参殿。法親王(出家し […]

2023.7.8.
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第214回 現代語訳・保古飛呂比 その㊳

一 (文久二年)十月九日、小南五郎右衛門が東行(太守さまの江戸行き)の先払いとして京都を発足したとのこと。 [参考] 一 同十日、太守さまの東行に関して宿問屋に贈った文書は左の通り。 一 馬五十九匹 一 人足百二十人ばか […]

2023.6.23.
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第213回 現代語訳・保古飛呂比 その㊲

(「武市同志」による「献白書」草案のつづき。作成時期は文久二年閏八月) 一 幕府の従来の規則では、諸侯の妻子を江戸に置き、年ごとに(諸侯が)参府することになっており、各藩財政欠乏の理由は国柄だけではありません。これはまっ […]