読み物砂漠に広がる白い町

▼バックナンバー 一覧 2012 年 3 月 14 日 大瀬 二郎

十、地方分権の成功例

 ソマリアで、地方分権化した統治システムをとりいれ、情勢の安定を達成したのはソマリア北部に位置するプントランドだった。シアド・バーレ政権の崩壊後、ソマリアが大混乱に陥った1991年、旧イギリス領土のプントランドは「プントランド共和国」として独立宣言をした。独立後に2院制の議会が設立され、上院は各氏族の長老82人、下院は選出された議員によって構成されている。プントランドは、国際社会からの巨額な援助を受けることなく、地方分権化とソマリア社会の実情を反映した統治システムによって南部に比べ遙かに安定した政権を保っている。暫定連邦政府を是が非でもソマリアに定着させようとしている国際社会は、プントランドを独立国家として未だに承認していない。国際社会は自分たちの価値観の一方的な押し付けから抜け出して、プントランドを国家として承認し、残りのソマリアには、地方分権化した統治システムをソマリア人自身が築けるよう、側面支援に徹するべきだ。

 「アフリカの角」を直撃した干ばつが起きることは昨年から予想されていた。しかし、飢餓やソマリアの惨事を、自分たちの問題として認識する感覚が麻痺してしまった国際社会は、死亡者の数が急増し、新聞やテレビに栄養失調で痩せこけた子供の映像が流れ始めて、やっと重い腰を上げた。干ばつの犠牲者の援助に24億ドルが必要だと国連が発表しているが、数多くのアピール後も、必要額の半分しか国際社会の援助が集まっていない。援助活動がスケールアップされないと、さらに75万人以上が命を失うと国連が9月に発表した。乾燥地帯が大部分の「アフリカの角」における干ばつは、近年、気候変動のために頻発し、近い将来に再発することはほぼ確実だ。耐乾燥性の作物の導入、干ばつ時の命綱となる地元の収穫物を貯蔵する技術の向上、そして食物市場・価格の安定化など、将来の干ばつの影響を軽減するための対策に、今回緊急援助に費やされている金額のごく一部を回していたならば、今回のような大惨事を避けることができたと、人道支援に携わる人々の多くは主張している。

 昨年9月、「アフリカの角」の危機を対象に国連のサミットが開かれた。「60年間で最悪の干ばつ」であるにもかかわらず、エチオピアやケニアでは、ソマリアのような飢饉に陥らなかった。その理由は、マイクロ・ファイナンスなどを使った収入獲得の手段や、干ばつや不作が訪れた時に、無償労働と引き替えに食物や家畜を提供するなど、「食物のセーフティーネット」を促進し、弾力的な対応が可能なプログラムのおかげだと宣言する。「この寛大な偉業はソマリアでも再現することができる。我々は今まで以上の頻度で干ばつに直面するだろう。しかし干ばつが必ずしも飢饉にエスカレートするとは限らない」と潘基文(パン・ギムン)国際連合事務総長が述べた。

 「アフリカの角」は秋の雨期に入り、乾ききった地面を雨がたたき始めた。だが雨が降ったからといって飢饉が突然ストップするわけではない。干ばつに見舞われた地域では、人々は種までも食べ尽くしてしまった。よしんば種をまくことができても収穫までには数ヶ月かかり、その間は食べるものがない。さらに干ばつの後に降る雨は、洪水、コレラやマラリアを招く可能性が高く、飢餓のために抵抗力の弱まった人々、特に子供たちを危険にさらす。

 難民キャンプでくるくると白いテントの合間でワルツを踊る、砂塵で赤く染まったつむじ風が、子供たちの命を奪い去る悪霊のように思えた。幼き我が子を飢えによって目前で失ったモハメッドさんの心境を想像しようとする。だが、もちろんそれは不可能だった。私たち一人一人がメンバーである国際社会が目を覚まし方向転換するまでに、これから何万、何十万の幼い命が奪われる必要があるのだろうか? サハロちゃんと同い年の娘の微笑んだ顔を思い浮かべ、行き場のない悲痛が胸を締め付けた。

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