読み物砂漠に広がる白い町

▼バックナンバー 一覧 2012 年 3 月 14 日 大瀬 二郎

六、暫定政府とイスラム法廷会議(ICU)

 2000年、ソマリア国民和平会議がソマリア市民社会・インテリのメンバーによって隣国のジブチで開かれ、暫定国民政府(TNG: Transitional National Government) の成立が発表される。しかし、アイディードなど実権を握っていた数々の軍閥のメンバーが参加しなかったことで、ほぼ形だけの組織となり、ケニアに本部を置いたTNGは、内部的な問題で総理大臣を3年に4回換え、ソマリア内部には進出することもできずに2003年12月に解散した。その翌年、ケニアとエチオピアの後押しで(もちろんその裏にはアメリカやヨーロッパ諸国がいた)暫定連邦政府(TFG: Transitional Federal Government)がTNGの後を継ぐ形で設立された。TFGは国際社会の一部の承認は得ていたが、ソマリア大衆による支持は弱く、当初はTNGと同様ケニアの首都ナイロビに本部を置き、2006年2月、ソマリアの首都・モガディシュから260キロ離れた南部の都市バイドアにある食糧倉庫で、ソマリア国内で初めての会議を行った。統治範囲がバイドア周辺のみに限られたため、暫定連合政府は「バイドア政府」とも呼ばれた。

 TFG(暫定連邦政府)はソマリア国内に拠点を置いたものの、内戦によって崩壊した国内をイスラム国家の樹立によって再統一することを目標に掲げて結成されたイスラム法廷会議(Islamic Courts Union: ICU)と対立する。ICUは1999年にモガディシュから武装グループを追放し、治安と秩序の回復に成功していた。軍閥間の争いで日々暴力と経済困難にさらされていた住民からの支持を得て、ICUは急速に勢力を拡大していた。だがICUの急進派が、欧米の音楽、映画の鑑賞の禁止、女性の顔を隠すことなどを強要する過激なイスラム主義政策を住民に強要し、さらにエリトリや国外のアイスラムの過激グループから軍事・経済援助を受け、外国戦闘員も参加していたことに、欧米、特にアメリカが危機感を抱いた。

 2006年3月、ICUを壊滅することを目的に、アメリカ政府(CIA)に支援された軍閥で構成されたグループARPCTとICUとの間で、「第二モガディシュの戦闘」が繰り広げられた。最終的にARPCTは敗れ、モガディシュから追放されることとなる。同年7月、崩壊寸前の暫定政府の要請で、アメリカに支援されたエチオピア軍がソマリアに侵攻。戦闘機や戦車を擁し、アメリカ軍に援助され軍事的に圧倒的優位に立つエチオピア軍により、ICUはモガディシュから追放され、その後ソマリア全土、国外へと散っていった。しかし、エチオピアの武力に頼ったTFGに対する住民の不満は、これまで以上に高まった。ソマリアとエチオピアは歴史的には敵対関係にあったからだ。

 その後間もなく、エチオピア軍によって打倒されたICUから分派したイスラム過激派グループのアル・シャバブ(Al Shabab:若者という意味)が、TFG(暫定連邦政府)に対立し始めた。一方、エチオピア軍の介入が論争の原因となり内部分裂していたTFGは、2008年にICUのメンバーによって再組織された「ソマリア再解放連合」と和解。2009年にはICUの元幹部だった穏健派のシャリフ・アハメドがTFGの大統領に選出された。アハメド大統領選出によって、過激派との間に交渉ルートができるのではないかという期待に反し、アル・シャバブはアハメド大統領を裏切り者と見なし、TFGとの対立はさらに激化していった。さらにアル・シャバブは、2008年後半までに、TFGがアフリカ連合から派遣されていた兵士によって支配していたモガディシュの一部を除く、ソマリア南部の大半を掌握。2009年1月にはエチオピア軍がソマリアから撤退した数時間後、暫定連邦議会が置かれるソマリア南部のバイドアを占領。翌2月にはモガディシュのアフリカ連合軍基地への自動車自爆テロを行うなど、活動の規模を拡大していく。アル・シャバブは国外からの支援・兵士の参加が疑われていたが、2010年にアル・カーイダとの連帯を表明。アフリカ連合軍に大半の兵を派遣しているウガンダの首都カンパラで、サッカー・ワールドシリーズの決勝戦をテレビ観戦する客で賑わっていたバー2軒を爆破するなど、国外でもテロを実行し始めた。

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