読み物砂漠に広がる白い町
ニ、小さいお墓
2日後、再度コウベ・キャンプを訪れる。キャンプのほぼ中心に墓地があると聞き、キャンプの入り口で車を降り歩き始める。「サクッ、サクッ」と乾燥しきった地面と擦れ合う靴底の音を聞きながら、キャンプのど真ん中をつらぬく通りを歩く。色とりどりのポリタンクがずらりと並べられた給水所の横に墓地があった。キャンプに水源は無く、川から汲み上げられた水がトラックで給水所まで運ばれてくる。難民は自分たちのポリタンクを列に並べて順番をとり、一日中給水車の到着を待っているわけだ。
墓地に到着すると、男性数人がつるはしとショベルで墓穴を掘っていた。1日あたり10人に1人の子供が栄養失調で命を失っていたので、墓場に来てしばらく待てば、子供を失った家族に出会うことがほぼ確実だろうというシニカルな予想が当たってしまう。掘る順番を待っている男性に話を聞くと、数時間前に幼児が死亡し、今、家(テント)で葬儀が行われているそうだ。何処ですかと聞くと、「あっちの方角だ」、と彼は見渡す限り広がる無数の白いテントの海に指を指す。自分では見つけることはほぼ無理だとわかっていたので、案内してもらうことになる。
栄養失調と脱水のため、わずか1歳半で命を落としたサハロちゃんの遺体は、荷物のように茣蓙に包まれ、テントの真ん中にそっと置かれていた。それを取り囲むように家族がしゃがみ込み、地面に目を落としていた。痩せこけた幼女の遺体を見ないで済むことに内心ほっとする。彼女を含む家族8人は、家畜と食物全てを失ったモデルタ村を離れ、干ばつで荒廃したソマリア南部を横断し、30日後にエチオピアに到着した。「10日前に容体が悪化し、クリニックに連れて行ったが、治療する薬がないと言われた。もっと食糧、ミルクがもらえないと、他の子どもたち(3人)も死んでしまうと」と険しい表情を崩すことなく語るモハメッドさんだったが、内心の不安は隠しきれないようだった。国連機関や人道支援NGOは、難民の急激な流入に追いつこうと奮闘していたが、キャンプが位置するエチオピアのソマリ州は、ソマリアと同様に干ばつ・食糧危機に直面し、キャンプの建設・運営のために必要な人材・物資の調達の困難、輸入・運送に対する政府の煩雑な手続きのために、食糧と援助物資の配布が遅れていた。
テントから運び出されたサハロちゃんの遺体を胸に抱き寄せ、モハメッドさんが、テント・シティーを一直線に貫く道を歩いて行く。参列者男性6人というささやかな葬列。100メートルほど進むと、モハメッドさんは他の男性に遺体を渡し、その人が先頭を歩く。さらに100メートル後に先頭が交代。このリレーのような葬列が墓地に到着し、掘り終わった墓穴の横にサハロちゃんの遺体が置かれる。周りを取り囲むお墓のほとんどは、サハロちゃんのものと同様に小さい。この墓地に埋葬されたほとんどが子どもたちだからだ。短いお祈りの後、モハメッドさんが墓穴に入り、サハロちゃんの遺体を受け取り、穴の底に安置する。石、そして砂と水で造られた円い団子のようなものが遺体の上に置かれた後(慣習なのだろう)、砂で墓穴が埋められる。風が吹く度に立ち上がる砂埃に参加者は目を細める。両手のひらを天に向けて、お祈りをするモハメッドさんは、「娘の死は、アラー(神)のご意志」だと語った。だがサハロちゃん、そして彼女を取り囲む沢山の子どもたちの幼い命を奪ったのは天災、それとも人災だったのだろうか? 石と枯れた枝で飾られた小さなお墓が群れ集う様は、いったい何を意味しているのだろうか? シャッターを切りながら考えた。
わずか15分ほどで終了した埋葬を後にして車に戻る途中、もう一つの葬儀に出会う。テントの外で悲鳴を上げヒステリックに泣いている母親を、男性二人が倒れないように支えている。事情を聞こうとするが、今は無理だと男性の一人。お悔やみを言った後、無言で車に向かう。一面に広がるテントの海の景色は、もう美しくは見えなかった。