わき道をゆく

2024.7.17.
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第240回 現代語訳・保古飛呂比 その64

  (慶応元年)三月 一 この月八日、左記の通り。    佐々木三四郞 右の者、高岡郡奉行・外輪物頭格かつ附屬役場ともに職を解かれる。もちろん役領知(※役職手当てのことか […]

2024.7.3.
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第239回 現代語訳・保古飛呂比 その63

[参考] 一 (慶応元年)正月二十四日、藩で文武奨励の制度が定められた。すなわち左の通り。 一 文武の課業は、十六歳の正月より始め、二十二歳の十二月までの毎月二十日、二十三歳の正月より始め二十九歳の十二月までの毎月十五日 […]

2024.6.19.
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第238回 現代語訳・保古飛呂比 その62

[参考] 一 長州より総督府へ差し出した書面、次の通り。 先だっては公卿方の引き渡し、そして脱藩人の始末の件でお達しがあったので、早速に右の公卿方に通知し、当の脱藩人どもへも申し聞かせました。ところが、無頼者が千人に及ん […]

2024.6.4.
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第237回 現代語訳・保古飛呂比 その61

一 (元治元年十一月の)この月、御仕置衆より次の通り[日にちが明らかではないが、このころと思われるのでここに収める] 別紙 御自筆(※この場合、容堂の自筆という意味か。豊範は大坂滞在中)の文書の写しと、御奉行衆の添え書き […]

2024.5.7.
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第235回 現代語訳・保古飛呂比 その59

一 (元治元年)九月六日、銀一匁につき銅銭二十文、鉄銭八十文になった。これは、先ごろ値上げを申し出たが採用されなかったため、時勢やむをえず今日に至り値上げしたものである。いわゆる一寸先は闇の面々が要路を占めているのは恐る […]