わき道をゆく

2024.8.28.
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第243回 現代語訳・保古飛呂比 その67

[参考] 一 記録抄出に(次の通り)。この十七日、異国船九艘が兵庫港(神戸港)へ来て、大坂表へ行くとのこと。いつ(大坂に)乗り入れるかもわからないと「御名代」(※誰を指すのか不明)まで演説された。昨日、安治川(淀川の最下 […]

2024.8.14.
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第242回 現代語訳・保古飛呂比 その66

(慶応元年)六月 一 この月二日、太守さまが高知城を発たれ、浦戸通りの道筋へ出られ、同三日、大坂に到着されたという知らせがあった。大阪城で公方さまにしばしば拝謁されたとうかがった。 一 六月十二日、左記の通り。 右の者、 […]

2024.7.17.
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第240回 現代語訳・保古飛呂比 その64

  (慶応元年)三月 一 この月八日、左記の通り。    佐々木三四郞 右の者、高岡郡奉行・外輪物頭格かつ附屬役場ともに職を解かれる。もちろん役領知(※役職手当てのことか […]

2024.7.3.
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第239回 現代語訳・保古飛呂比 その63

[参考] 一 (慶応元年)正月二十四日、藩で文武奨励の制度が定められた。すなわち左の通り。 一 文武の課業は、十六歳の正月より始め、二十二歳の十二月までの毎月二十日、二十三歳の正月より始め二十九歳の十二月までの毎月十五日 […]

2024.6.19.
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第238回 現代語訳・保古飛呂比 その62

[参考] 一 長州より総督府へ差し出した書面、次の通り。 先だっては公卿方の引き渡し、そして脱藩人の始末の件でお達しがあったので、早速に右の公卿方に通知し、当の脱藩人どもへも申し聞かせました。ところが、無頼者が千人に及ん […]