わき道をゆく

2025.6.24.
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第264回 現代語訳・保古飛呂比 その87

[参考] 一 安田氏の筆記を見ると、 このとき、長濱若宮(※現在の高知市長浜にある若宮八幡宮のことか)に出動の後、浦戸に駐屯した。翌九日の夜に帰る。総勢百五十人余りとある。種崎(に出動した兵)の頭は渡邊玄蕃である。この人 […]

2025.6.10.
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第263回 現代語訳・保古飛呂比 その86

[別紙] 仏国公使より長崎在留の「教法師」(※宣教師のことか)へ今後の取り締まりのことを知らせる書面の訳書の写し 日本在留の「アウツクモンシエニヨール」(※モンシエニヨールは高位聖職者のこと。アウツクは不明)の「ペツテイ […]

2025.5.27.
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第262回 現代語訳・保古飛呂比 その85

一 七月十八日、晴れ、(樋口)眞吉より届け出。御歩行(おかち)の岡田辰衛・濱田直太郎、軍貝下役の荒川順治が昨夜から帰宿しないとのこと。勤めを終えてから、(山田)東作・(毛利恭助)・(下村)省助を連れて高台寺(豊臣秀吉・ね […]

2025.5.13.
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第261回 現代語訳・保古飛呂比 その84

一 (慶応三年)六月二十四日、祇園の中村屋で会合があった。薩摩の脱藩者・田中幸助[中井弘(注①)]が来会し、建白書を修正した。田中は後藤と長崎で昵懇になった。すこぶる面白い人である。薩摩人には珍しい通人のように見受けた。 […]

2025.4.29.
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第260回 現代語訳・保古飛呂比 その83

一 (慶応三年)六月十三日、執政の深尾丹波どの宅で、執政・参政・大監察が列席して、前日にひき続いての詮議があった。その際もとかく因循論で、朝廷と幕府の間に立って、ほどよく周旋せよとの事だったが、「今日となってはもはやそん […]