わき道をゆく

2025.3.3.
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第256回 現代語訳・保古飛呂比 その79

一 (慶応三年)正月十二日より毎日出勤して、朝夕、俊姫のご離別案件について奔走した。藩政府も大いに疑い惑って、方針を決定しなかった。そのうち意外なことが起きた。離別の一件は勤王家の者たちみんなが大いに憂慮し、物議が起こり […]

2025.2.17.
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第255回 現代語訳・保古飛呂比 その78

[参考] 一 慶応二年十月、藩が楮幣(藩札のこと)を発行した。左記の通り。 このたび三支配(町・浦・郷のこと)に渡し遣わす楮幣、来る辰年までの三カ年間云々の布告のこと。 覚(おぼえ) このたび三支配に渡すことになった楮幣 […]

2025.2.3.
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第254回 現代語訳・保古飛呂比 その77

一 (慶応二年)九月十三日、曇り、未の中刻(午後二時ごろ)ごろ、豊後佐賀関に到着。高田屋文治方に泊まるつもりだったが、肥後(熊本藩)のもろもろの警衛が厳しく、みだりに上陸を許さなかった。(※佐賀関は熊本藩の飛び地だった) […]

2025.1.20.
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第253回 現代語訳・保古飛呂比 その76

[参考] 一 (慶応二年)八月三十日、公卿たちが書面を提出して、国事について上奏することを願い出た。「聴されず[ママ]由」(=聞き入れられなかったとのこと、という意味と思われる)。その方がたは、 中御門左大辯宰相経之卿( […]

2025.1.6.
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第252回 現代語訳・保古飛呂比 その75

一 同年十二月二十七日、[知行百二十石、御馬廻り、うち二十石減らされる]平井善之こと、先ごろ勤役中いろいろと不当の行為があり、(太守さまが)ご不快に思われた。よって今月二十三日、厳重に遠慮(注①)を仰せつけておいた。そう […]