わき道をゆく

2024.4.24.
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第234回 現代語訳・保古飛呂比 その58

一 (元治元年)八月二十六日、京都ヘ同行した武藤清八・松下與膳が帰藩。 一 同二十七日、自分と松木新平が帰藩。 一 同二十七日、帰藩のうえ聞いたところ、先月二十七日、自分等が高知を出発した日の夕刻、清岡道之助・治之助の暴 […]

2024.4.9.
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第233回 現代語訳・保古飛呂比 その57

[参考] 一 (元治元年)八月五日、この日より長州が異船(外国船)と戦争、(注①) 一 長州の異国船との戦争に関する諸説。(元治元年八月) 大隅守(大坂町奉行・松平信敏のこと)組の盗賊方(大坂町奉行所の犯罪取締役)より申 […]

2024.3.26.
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第232回 現代語訳・保古飛呂比 その56

[参考] 一 (元治元年)七月二十二日、京都より飛脚が着いたので、戦争(禁門の変)後の状況を確かめたところ、十九日「八ツ時前」(午前二時ごろか午後二時ごろ?)戦が終わり、長州人が引き取った後も砲声が聞こえた。同二十日に至 […]

2024.3.12.
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第231回 現代語訳・保古飛呂比 その55

一 (元治元年)六月二十六日、我が藩にて次の通り。 口上覚え 昨今の切迫した時勢は、有限の財力をもって無窮のつとめに応じなければならず、まことに難渋の至りである。このため(太守さまの)身のまわりをはじめ諸事の厳格な節約を […]

2024.2.27.
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第230回 現代語訳・保古飛呂比 その54

一 五月三十日、次の通り。 佐々木三四郞 右の者は我らの組に入り、「御自分支配」(?)の坐列は東野楠猪の次へ[中略か] 右の通り云々。 元治元年五月三十日 柴田備後 加用記内殿 別紙の通り云々。 元治元年五月三十日 加用 […]