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2019.1.31.
わき道をゆく
第139回  書評『大政翼賛会のメディアミックス』(大塚英志著)

 「翼賛一家」という漫画を存じだろうか。日米開戦の一年前、新日本漫画協会が大政翼賛会に献納した作品である。 11人の大家族。父賛平(48)は教師、母たみ(45)は糟糠の妻、長男勇(25)は会社員…当時としては平 […]

2019.1.9.
わき道をゆく
第138回 未来への希望の灯に

 振り返ってみると、週刊現代でこの連載が始まったのは東日本大震災の翌年の夏だった。当時は原発の再稼働に反対するデモが最高潮に達していて、デモの出発地点となった日比谷公園は数万の人出で混雑していた。
 公園内では若者たちがサンバのリズムで「原発いらねえ。再稼働反対」と叫びながら踊っていた。デモを知らない世代のN君(担当編集者)が目を輝かせながら「サッカーの日本代表戦応援と同じノリですね」とつぶ やいた。
 その日の夕方、国会正門前に着くと、歩道から車道へデモの人波があふれ出し、皇居のお堀につづく道路全体を埋め尽くしていた。「危険ですから歩道に上がって」という警察官の制止を誰も聞かない。原発廃炉を求める人々の熱気が公権力の規制を無力化していたのである。
 といっても70年安保のように火炎瓶や石が飛び交うわけじゃない。自由でアナーキーな空間の中で、見知らぬ者同士が互いを気づかい、水やお菓子を融通し合う。むやみに警官に突っかかったりしない。そんな光景を見るうち心がじんわり温かくなった。未来に微かな希望の灯がともったような気がした。
 むろん、デモで目標を達成できたわけではない。一部の原発はやがて再稼働した。その後、秘密保護法が制定 され、安保法制も十数万人のデモが国会を包囲したのに成立した。結果だけを見るなら、この4年半は敗北の連続だった。
 しかし、負け惜しみを言うようだが、本当に大事なのは勝つことではない。いかによく負けるかである。敗北の積み重ねの中からどんな教訓を学び、どれほど豊かな思想を培うことができるかによって未来は決まる。
 私がかかわるジャーナリズムの世界でもこの4年半にさまざまな出来事があった。朝日新聞の原発・「吉田調書」報道や、慰安婦に関する吉田証言問題をめぐって猛烈なバッシングが行われた。私はその異様な光景を目の当たりにして恐れ慄いた。この国の人々は正気を失ったのではないかと訝りさえした。
 朝日バッシングの根底にあるのは、自国の名誉を傷つけ る者は許さないという民族主義の昏い情熱だった。それは容易にヘイトスピーチの差別・排外主義に転化し、自国にとって都合の悪い歴史を書き換える歴史修正義を生む。いまや慰安婦問題や南京大虐殺、それに関東大震災での朝鮮人虐殺はなかったことにされようとしている。
 そんな不条理に抗う人々の姿をこの連載では何度も取りあげた。それが連載の役割だと思ったからだ。最終回でもその役割を幾分かでも果たしたい。登場してもらうのは、日本テレビ報道局の清水潔記者である。
 清水さんはNNNドキュメント『南京事件 兵士たちの遺言』を制作し、一昨年10月に放映して大きな反響を呼んだ。さらに昨年8月には番組制作の舞台裏を明かす『「南京事件」を調査せよ』(文藝春秋刊)を上 梓して注目を集めた。
 改めてお断りしておくが、南京事件とは1937(昭和12)年12月、旧日本軍が南京を占領し、捕虜や市民らを殺害・暴行・凌辱した事件だ。日本では、その犠牲者数を数万〜20万人とする研究者が多い。
 この事件の特徴は、被害者側の証言はもとより、南京にいた米国人記者らの記事や日本軍兵士たちの記録などさまざまな証拠がそろっていることだ。にもかかわらず近年、虐殺の事実自体を否定する言説がネット上などで氾濫するようになった。
 深刻なのは、そうしたデマがネットに止まらず、政治家の発言やマスコミの論調にまで影響を及ぼしていることだ。
 清水さんによると、中国政府が南京大虐殺の資料をユネスコの「世界記憶遺産登録」に申請した後、自 民党の国際情報検討委員会の委員長・原田義昭元文部科学副大臣はこう言った。
「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、(世界記憶遺産に)申請しようとするのは承服できない」
 しかし、その2日後に清水さんの番組が放映されると、視聴者から「こういう番組を作ってくださってありがとう」「全国民が見てほしい」「再放送してほしい」などと激励や感謝のメールが続々と届いたという。
 番組が想像以上の反響を呼んだのは、清水さんが米国の南京特派員が書いた記事や、日本軍の兵士たちの日記など「一次資料」に徹底的にこだわったからだろう。ある上等兵の日記。
〈十二月十六日 二、三日前捕虜せし支那兵の一部5000名を揚子江 の沿岸に連れ出し機関銃を以て射殺す、その後銃剣にて思う存分に突刺す……〉
 別の上等兵の日記。
〈十二月十八日 昨夜までに殺した捕りょは約二万、揚子江岸に二ケ所に山の様に重なって居るそうだ、七時だが未だ片付け隊は帰えって来ない〉
 同様の記述が他の29人の日本兵士の日記の多くにあった。しかも清水さんはそれらの記述に間違いないかどうか、いちいち裏をとった。たとえば日記に「白馬山丸」で上海に上陸したとの記述があると、その船の動きを当時の新聞記事などから確認する作業を厭わなかった。
 このように徹底的に事実を掘り下げた取材は、視聴者の心を揺さぶり、歴史修正義の虚妄を浮き彫りにした。原田元文部科学副大臣の発言がどれほど馬鹿げたものであるかとい うことを知らしめたのである。
 私は戦後70周年企画に南京事件という難しいテーマを選んだ清水記者と日テレ報道局の勇気に心を揺さぶられた。リスクを冒して不条理に立ち向かう。そうした行為がさまざまな現場で積み重ねられている。だからこそ希望の灯は決して消えないのだと私は信じる。(了)
(編集者注・これは昨年、週刊現代に掲載した「わき道をゆく」の再録です)

2018.12.6.
わき道をゆく
第137回 生き残った岸の民族主義

 そろそろ、岸信介とは何者だったかという問いに私なりの答えを出さなければならない。たぶんそれは、今の首相の安倍晋三とは何者なのかという問いにつながっていくはずだ。  岸は、巣鴨プリズンで記した『断想録』で1941(昭和1 […]

2018.11.9.
わき道をゆく
第136回 万代までも伝え残さん

1945(昭和20)年12月15日、荻窪の荻外荘は夜更けまで友人たちの出入りが絶えなかった。主人の近衛文麿がGHQの逮捕指令により、翌16日、巣鴨プリズンに出頭することになっていたからだ。  近衛の娘婿・細川護貞の『細川 […]

2018.10.16.
わき道をゆく
第135回 革新官僚・岸と全体主義の挫折

 前回は近衛新体制運動について書いたが、今回はそのつづきである。主として参考にさせてもらう文献は『昭和史講義―最新研究で見る戦争への道』(筒井清忠編・ちくま新書)である。  日米開戦直前の日本を熱病のように覆った近衛新体 […]