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- わき道をゆく
- 第211回 現代語訳・保古飛呂比 その㉟
[参考]一 (文久二年)六月二十一日[歟(=だろうか)]、藩にて次の通り。(注①) このたびの評議を踏まえ、文武それぞれの師弟関係のあり方をかつての通りにするよう仰せつけられた。もちろん、以前、師弟だった者は元通りになる […]
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- 第210回 現代語訳・保古飛呂比 その㉞
一 (文久二年)四月十七日、高屋友右衛門が御側御用役となる。 同人は兵学者流であって、いささか時勢に意を注ぐけれども、平士の中の大身家だから自然佐幕の傾向あり。もっとも、党派はない。 青木忠蔵が大目付となる。 同人は太平 […]
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- 第209回 現代語訳・保古飛呂比 その㉝
[参考]一 (文久二年)四月九日、大坂より最速便の飛脚、五百人方足軽(注①)・喜代蔵が到着。概略は次の通り。[上文略]薩摩藩・柴山愛三郎の説。 このたび和泉(現薩摩藩主の実父・島津久光)が大坂へ来て二日ばかり滞在。上京す […]
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- 第208回 現代語訳・保古飛呂比 その㉜
[参考]一 本間精一郎(注①)なる者が(土佐藩が大阪・住吉に設けた)住吉陣屋に来たとのこと。飯沼氏の筆記に曰く. (文久二年)四月八日、浪人・本間精一郎と土佐梼原村の庄屋・吉村寅太郎(注②)の二人が一緒に住吉陣屋に来て、 […]
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- 第207回 現代語訳・保古飛呂比 その㉛
一 (文久二年正月)十五日、御老中の安藤対馬守殿が登城の際、浪人二十八名が双方より駕籠に討ってかかり、お供の士と闘争になり、安藤侯は深手を負い、坂下門に逃げ入ったという。[これは二月二日、飛脚便により江戸表から知らせてき […]