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2016.9.23.
わき道をゆく
第102回 鷗外、求むれども得ず
 森鷗外は、息を引き取る3日前の大正11(1922)年7月6日、盟友の賀古鶴所に奇妙な遺言を書き取らせている。「死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ奈何ナル官憲威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス余ハ石見人森林太郎トシテ死セント […]
2016.9.2.
わき道をゆく
第101回 森鷗外と「謎の会合」
 明治43(1910)年10月の森鷗外の日記に「永錫會」という謎めいた会合が登場する。ちょうど同年5月に発覚した大逆事件の予審が終局を迎えたころである。〈十月二十二日(土)…賀古鶴所(=鷗外の親友で山県側近)来て永錫會の […]
2016.8.19.
わき道をゆく
第100回 震える元勲の「思想戦」
 司馬遼太郎さんはよっぽど山県有朋が嫌いだったらしい。『翔ぶが如く』で〈僧院の陰謀家のように陰鬱で無口で、異常に権力と金銭の好きな、そして国権の徹底的確立だけが護国の道であると信じ切っていた国家的規模の大迷信家〉と、あら […]
2016.8.12.
わき道をゆく
第99回 文豪が元勲に見出されるまで
 森鷗外=山県有朋の”スパイ”説の真相を追っている。 2人の交流が文献で確認できるのは、日露戦争後の明治39(1906)年6月、歌人としても知られた山県の肝いりで和歌研究会「常磐会」が結成されてからだ。 歌壇の重鎮4人が […]
2016.7.21.
わき道をゆく
第98回 元勲と文豪をつないだ『戦争論』
 明治・大正期の軍人政治家・山県有朋と、文豪・森鷗外の関係について引きつづき考えてみたい。鷗外は本当に山県の”スパイ”だったのだろうか。 鷗外が留学先のドイツから帰国した明治21年秋(鷗外26歳)までに限定するなら、答え […]
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